コラム

「ワシは何とも思わんよ」…サンドバッグを受け入れた、高木守道さんの懐の深さ

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1月26日、中日で選手・監督として活躍した高木守道さんのお別れの会が行われた (C) Kyodo News

ミスタードラゴンズに別れ


 昨年1月17日に急性心不全のため78歳で亡くなった、中日OBで元監督・高木守道さんのお別れの会が、1月26日に名古屋市内のホテルで行われた。

 新型コロナウイルス感染拡大のため、昨季開幕前に予定されていた追悼試合は昨年10月に行われた。お別れの会は1年たって、ようやく開催の運びとなった。

 記者は会場で故人をしのんだ。そして、どうしても忘れられない思い出を振り返っていた──。


「ワシは何とも思わんよ」


 聞いた答えはシンプルだった。はっきりと覚えている。高木さん第2次政権2年目、2013年のことだ。

 采配に疑問を感じる複数のベテラン選手が、ベンチ内で「じじい」とののしった。それも1度や2度ではない。ベンチ内の端から端だったとはいえ、聞こえたら気分がいいものではないだろう。造反に値するという指摘だってあるに違いない。


 指揮官はその態度をどう受け止めていたのか…。気になって、気になって、思い切って聞いてみた。

 その返事は、記者が思ったよりもサクッと、何事もないかのように返ってきた。

 「ベテランの声が聞こえていたか?そりゃ丸聞こえ。隠してないもん。ワシは何とも思わんよ。ベテランというのは、そういうもんなんだわ。何かに文句言いたくなる生きもの。アイツらには『何言ってもいいから結果だせ』としか思わん」

 懐が深い。記者が予想した「けしからん」なんて、これっぽっちも思っていなかった。いくら現役時代に怒りに任せて試合中に帰宅したエピソードを持つ怒りん坊だとはいえ、だ。


 立場が監督となれば、選手を押さえ付けたくなるのが球界住人の多数派。なのに、高木さんは目に余るベテランの振る舞いを許容していた。

 監督が代われば起用法も変わる。2011年までの落合政権との違いに戸惑う選手がいたのは当然だろう。輝かしい落合時代がある。変化に対する選手の反応に、良い悪いはない。


高木さんが遺したもの


 成績はもちろん偉大。名球会員で、野球殿堂入り。2014年にはNPBアワードでNPB80周年ベストナインの表彰もあった。

 1歳上の王貞治さんに続いて登壇した高木さんは、「ワンちゃん」と話しかけた。見ていて、たまげた。「世界の王」に、なんと気さくに話しかけるのだろうか、と目を丸くしたのを覚えている。


 監督として残した成績がどうかは人による評価。お別れの会では、主将・高橋周平が3球団競合のドラフトから振り返り、「高木さんがいなかったら、ドラゴンズに入っていません。ベンチでは顔を赤くしているのが思い出です。怒っているんだろうな、と思っていました。実力もないのに、試合に使ってくれました。今、その経験は生きています。感謝しています」と話した。

 また、高木さんの背番号1を受け継いでプレーをし、今季から14年ぶりに古巣に戻って来る福留孝介は、「今年から中日のユニホームを着ると報告しました。(阪神時代)相手チームのベンチから見ていて、闘志を全面に出されていた。背番号1と言うと守道さんが出てくるので、背番号1を付けさせてもらっていた自分としては番号を汚さないようにという思いでずっとやってきましたし、同じ背番号をつけられて良かったかなと思います」と語っている。


 急逝から1年がたった。高木さんの死去、昨年10月の追悼試合、そして今回のお別れの会…。あの時、公然と罵倒したOBは高木さんの節目、節目に何を思い、自らをどう省みるのか。

 未来の球界を担うOBへ、高木さんが残した最後の遺産なのだと思う。


文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)
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