まるでコントのような“バント3ラン”
セ・リーグ制覇は38回、日本シリーズ優勝も22回を誇る伝統球団・読売ジャイアンツ。
巨人と言えばホームランバッターをズラリと並べた“重量打線”のイメージが強いという方もいるかもしれないが、その一方で犠打の世界記録を樹立した川相昌弘に代表されるように、状況によっては小技でチャンスを拡大して一気にたたみかけていくという戦術を採ることも少なくない。
そこで今回は、巨人と“送りバント”にまつわる珍プレーにフォーカス。
ひとつの犠打が予想外の結末へとつながった、まさかのシーンを3つご紹介しよう。
まずは送りバントがダブルエラーを誘発して“バント3ラン”となった、1982年9月15日の中日戦(後楽園)から。
0-2の1回裏、巨人は島貫省一と河埜和正の連続四球で無死一・二塁のチャンス。ここで篠塚利夫は定石通りに送りバントを試み、投前に転がした。
打球を処理した郭源治は捕手・中尾孝義の指示で三塁封殺を狙ったが、雨で水分を含み、柔らかくなったマウンドに足を滑らせたことから、これがとんでもない悪送球となる。
サードのケン・モッカが捕り損ねたボールは三塁側フェンスに向かって転がっていったが、ここで中日にさらなる不運。カバーに入ったレフト・大島康徳も、水をたっぷり吸った人工芝によって不規則にバウンドしたクッションボールの処理を誤り、後逸してしまう。
ボールが無人の左翼を転々とする間に、島貫と河埜に続いて打者走者の篠塚も一気にホームイン。送りバントが3ランになってたちまち逆転。まるでコントのような得点シーンに、巨人ベンチはもちろん大爆笑だった。
巨人はその後も攻撃の手を緩めず、この回5点を挙げて勝利を引き寄せた…かに思われたが、終わってみれば7-7の引き分け。本当に勝負は最後までどうなるかわからない。
勝って2位・中日に引導を渡すはずが、3.5ゲーム差のままで足踏みしたことが回りまわって、シーズン最終試合で中日に逆転Vを許してしまう。まさに「身に過ぎた果報は災いのもと」だった
原辰徳はバント失敗が奏功
送りバント失敗のミスが一転、そのおかげで打撃タイトルを手中に収めたというのが、入団3年目の原辰徳だ。
1983年9月10日のヤクルト戦(後楽園)。3-2とリードの巨人は、5回にも篠塚の内野安打と淡口憲治の右飛エラーで無死一・二塁とし、4番の原はベンチの指示で宮本賢治の初球をセーフティ気味に送りバント。スタンドから思わず「エーッ!」と驚きの声が上がったが、打球は三塁線に切れるファウルとなった。
直後、柴田勲三塁コーチが慌てて駆け寄り、何事か耳打ちすると、頷いた原は2球目、バントの構えからバスターを試みたが、振り遅れてまたしてもファウルになった。
こうなったら、ヒッティングに切り替えるしかない。
そして、カウント2ボール・2ストライクからの5球目、原は内角寄りの直球が甘く入ってきたのを見逃さず、左翼席中段に突き刺さる25号3ラン。4日ぶりの一発で吹っ切れた原は、7回にも左翼席上段に26号2ランを放ち、8回に三ゴロで挙げた1打点と合わせて計6打点を記録した。
この結果、前日まで4差をつけられていた山本浩二(広島)を一気に抜き去り、84打点でリーグトップに浮上。
「試合数が9も違うから、打点王は無理でしょう」と予防線を張りつつも、「でも、こんな試合があと3つも4つもあれば、打点王も狙えますね」とタイトル獲得に意欲を見せた原は、最終的に山本に2差をつけ、103打点で生涯唯一の打点王とMVPを獲得した。
もし、ヤクルト戦で送りバントが成功していたら…?
当然ながらあの1試合6打点もなかったわけで、この年の打点王は山本だったかもしれない。結果的にバント失敗がもたらしたタイトルと言っても過言ではないだろう。
ちなみに原は、翌84年5月3日の大洋戦で、1717打席目にして野球人生初の送りバントを決めている。
菅野智之、ハマスタとの“不思議な因縁”
その原の甥にあたる菅野智之も、ルーキー時代に送りバント失敗がきっかけで、思いがけない幸運を呼び込んでいる。
2013年8月25日のDeNA戦(横浜)。初回に村田修一と高橋由伸の連続タイムリーで2-0とリードした巨人は、2回にも坂本勇人の二塁打とホセ・ロペスの安打で一死一・三塁とし、9番・菅野に打順が回ってきた。
ベンチの原監督は、ひとまず一塁走者を二進させて二死二・三塁とし、1番・長野久義のバットにかけようというもの。菅野には送りバントを命じた。
ところが、菅野が国吉佑樹の初球をバントすると、当たり損ねの小フライとなってしまう。バント作戦失敗…と思われたが、幸いにも飛んだコースが良かった。
マウンド付近に上がった打球は、国吉と一塁を守るトニ・ブランコの間にポトリ。この間に三塁走者・坂本が生還し、一塁に生きた菅野も思わず苦笑い(記録はタイムリー内野安打)。
棚ぼたの3点目で完全に流れを掴んだ巨人は、ロペスの満塁弾など3本塁打も飛び出して16-2と大勝。7回を4安打・2失点に抑えた菅野も11勝目を手にした。
ちなみに菅野は、東海大相模時代の2007年夏、神奈川県大会の準決勝・横浜戦でも高校野球史に残る伝説の珍プレー「振り逃げ3ラン」を記録しており、横浜スタジアムとは不思議な因縁でつながっている。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)