イチローが“史上初”を連発?
プロ野球の長い歴史の中で起こった「珍事件」を球団別にご紹介していくこの企画。
今回はオリックス・ブルーウェーブ編だ。
ブルーウェーブのスターと言えば、前人未到の7年連続首位打者に輝いたイチロー。
日本で残した数々の記録については今さら触れることもないかもしれないが、実はイチローが目立っていたのは「好プレー」だけでがない。
ある時は審判の勘違いから1打席で2三振を含む計3度のアウトを宣告されたり、ある時はワンバウンド投球をゴルフスイングよろしく右前安打するなど、珍プレーでも多くの話題を提供している。
そんな中でも、イチローがプロ野球始まって以来の珍事の“主人公”となったのが、1994年6月12日のロッテ戦である。
3-3の延長10回、オリックスは二死満塁と一打サヨナラのチャンス。打席に立ったのは、この日3安打と大当たりで、なおかつ打率.385でパ・リーグ首位打者という1番・イチローだった。
だが、快打を期待するファンの大声援とは裏腹に、イチローはカウント1ボール・2ストライクから成本年秀のフォークを空振り。三振に倒れてしまう。
3アウトチェンジでチャンスは潰えた…かに見えたが、イチローにはまだ“ツキ”が残っていた。捕手・定詰雅彦がボールを後ろにそらしてしまったのだ。
二死の場合、走者が一塁にいても振り逃げは成立する。イチローは「しめた!」とばかりに一塁に走り出し、この間に三塁走者・本西厚博がサヨナラのホームイン。この瞬間、プロ野球史上初の“サヨナラ振り逃げ”が実現した。
三振したにもかかわらず、思いがけず勝利のヒーローとなったイチローは「ラッキーとしか言いようがない。まあ、勝ったからいいじゃないですか」と照れくさそうに笑った。
駿太は「振り逃げ三塁打」
次も「振り逃げ」にまつわる話を。
サヨナラ振り逃げ同様、滅多にお目にかかれない「振り逃げ三塁打」を記録したのが、前橋商時代に“上州のイチロー”の異名をとった駿太だ。
2015年5月19日のソフトバンク戦。1点リードのオリックスは、7回二死無走者で駿太がカウント1ボール・2ストライクから五十嵐亮太のカーブを空振り。三振に倒れる。
ところが、ワンバウンドしたボールが坂井遼太郎球審の体に当たって大きくそれたことから、捕手・高谷裕亮は行方を見失ってしまった。
しかも、ボールはよりによってバックネットに設置された製菓会社の看板の上に乗る形でピタリと静止したため、ちょっと見ただけではどこにボールに行ったのかわからない。
高谷が全く気づかないでいる間に、駿太は自慢の俊足を飛ばして一塁を回り、二塁へ。
五十嵐が「そこだ!」と叫びながらボールのある場所を指差したので、ようやく高谷も見つけることができたが、時すでに遅くし…。なんと駿太は三塁まで達していた。
その駿太は「二塁へ行ってからは、球は(どこにあるのか)見えてました」と証言。
遠い二塁から見えていたのに、一番近くにいた高谷が気がつかなかったのは、まさに「灯台下暗し」だった。
ソフトバンク・工藤公康監督は「ボールデッドではないか」と抗議したが、看板にボールが挟まったわけではないので、インプレーの判定は変わらず。
しかし、オリックスは二死三塁のチャンスも無得点に終わり、駿太の激走も報われずに終わった。
中嶋聡(現監督)の「素手キャッチ」
最後は中嶋聡監督の現役時代の珍プレーを紹介しよう。
なかでも最も有名なのが、1990年9月20日の日本ハム戦で見せた「素手キャッチ」だ。
打者・田中幸雄のとき、星野伸之のカーブがすっぽ抜けて外角に大きく外れる。
すると、捕手・中嶋は左手にはめたミットを使うことなく、何食わぬ顔で右手で「パシン!」とキャッチ。すぐさま、星野を超える球速で「バシッ!」と返球したことから、両軍ベンチやスタンドの観客もドッと笑った。
若いころは球界を代表する強肩捕手だった中嶋。スピードガンコンテストで147キロをマークしたこともあり、送球が星野の“遅球”より速いのも頷ける話だ。
だが、前年に最高勝率のタイトルも獲っている星野にしてみれば、あってはならない事態でプライドを傷つけられた。
攻守交代でベンチに戻った星野は「素手で捕るなよ。ミットが動いてなかったぞ」と文句を言ったが、中嶋が「(大きく外れて)ミットが届かなかったんです」とうまく言い訳したので、それ以上追及できなかったという。
中断中に“投手イチロー”を演出
実は中嶋、「投手・イチロー」の誕生にもひと役買っている。
1995年7月16日のダイエー戦。伊藤隆偉が右膝に打球を受け、治療のため試合が中断した。すると、中嶋がマウンドに足を運び、小川博文や勝呂壽統の内野陣と何やら相談。
間もなく、中嶋がセンターを守っていたイチローを呼び寄せ、中断中のアトラクションとして投球を披露するよう指示。粋なファンサービスにスタンドが沸いたのは言うまでもない。
ダイエー側も余興で松永浩美が打席に立ち、趣向を盛り上げる。1球目にいきなり138キロを計時したイチローは、3球目に140キロをマークし、松永のバットに空を切らせた。
一部始終を見ていた山田久志投手コーチも「使ってみたいね」と絶賛。これがきっかけで、イチローは翌年のオールスターでも投手として実戦デビューをはたすことになった。
ちなみに、近鉄時代の佐野重樹が後退した前頭部を光らせて投げる“ピッカリ投法”の最初の対戦打者となり、笑い転げて思わずタイムをかけたのも、オリックス正捕手時代の中嶋だった。
現役時代の中嶋監督は、捕手らしく投手の“引き立て役”になる珍プレーが多かった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)