名実ともに“歴代最強助っ人”へ
センター前へ抜けていく打球を見ながら、6年前の衝撃弾を思い出した。
中日のダヤン・ビシエド選手が24日、神宮で行われたヤクルト戦の4回一死、高梨裕稔から中前打を放ち、これがNPB通算766本目の安打。アロンゾ・パウエルを抜く、球団の助っ人最多記録を更新した。
節目を前に振り返っていた衝撃弾は、入団イヤーの2016年6月8日。オリックスとの交流戦だった。阪神との開幕3連戦で3戦連続弾を放った同スタジアムで、135メートル弾を放った。
その打球を見た瞬間、記者席を飛び出したのを覚えている。バックネット上から、左中間最上段まで走った。
打球の落下地点の座席には、ポッカリと穴が空いていた。樹脂製の座席はスタジアム関係者の手ですぐに新品に取り換えられた。
証言者とビシエドのコメントもはっきりと覚えている。
座席近くの男性は「バキっていう音がしたのに、ボールが跳ね返ってきませんでした。何でだろう、おかしいな?と思って見に行くと、イスに穴があいていました」と言っていた。
そして、主砲のコメントは「打ったのはストレート。これが、オレだ」。
今はとにかく温厚な助っ人も、当時は27歳。日本での成功を願って、米国から移籍したばかり。ストレスもプレッシャーもあったのだろう。今では考えられないほどの、気負ったコメントを残した。
さまざまな人との“縁”
来日6年間で気づくのは、ビシエドを取り巻く人と人の縁。
座席破壊のアンビリーバブル弾は、当時オリックスに所属していた松葉貴大の速球をたたいたもの。その左腕はチームメートとなった。
また、この日の試合前練習では、母国キューバの先輩とも会っている。1955年から阪急、近鉄で活躍した元オリックス職員のロベルト・バルボンさんだ。
1958年から3年連続で盗塁王に輝いたキューバ出身プレーヤーのパイオニア的存在から、日本球界を生き抜くヒントを得た。
ほかにも、球団助っ人最多安打記録を持っていたパウエルは今、チームの巡回打撃コーチだし、中日初のキューバ選手であるオマール・リナレスは巡回コーチ兼通訳兼キューバ担当。ビシエドを指導し、時には勇気づけ、さらには球団とキューバとのパイプ役として活躍している。
さらに、今季阪神から加入した福留孝介とは、米ホワイトソックス時代にレギュラー争いを繰り広げたこともあった。
球団はビシエドと契約更新の方針を明らかにしている。ニックネームは戦車を意味する“タンク”。スペイン語ではタンケ。
さまざまな縁に恵まれ、中日に強く、太い根をはったビシエド。球団史にはっきりと名前を刻んだ。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)