「あいつはやっぱりスターやで」
“令和の怪物”佐々木朗希の女房役として、高卒1年目から一軍定着をはたしたロッテのドラ1ルーキー捕手・松川虎生。
4月24日のオリックス戦で白井一行球審がマウンドの佐々木に詰め寄ったときは、咄嗟の機転で間に入り、冷静に白井球審をなだめる姿が称賛の的になった。
また、5月24日の交流戦初戦・広島戦でも5回に貴重な適時二塁打を放ち、攻守にわたって石川歩をアシストした。
史上初の高卒1年目の捕手の新人王獲得も期待されるところだが、過去にも松川同様、高卒1年目から活躍した捕手が存在した。
プロ初打席で場外弾を放ったのが、“ドカベン”こと南海・香川伸行だ。
ウエスタンで5本塁打を記録して一軍に昇格した香川は、1980年7月8日の近鉄戦で4回裏から正捕手・黒田正宏に代わって初マスクをかぶった。
迎えた5回二死のプロ初打席。井本隆の3ボールのあとの4球目が内角高めに浮くところを見逃さずフルスイング。
直後、打球はピンポン玉のように左翼場外へ消えていき、ベンチの南海ナインも「あいつはやっぱりスターやで」と度肝を抜かれた。
高卒ルーキーが初打席で本塁打を放つのは、1960年の高木守道(中日)以来、20年ぶり3人目の快挙だった。しかも、打ったあとのセリフも振るっていた。
「(井本は)3ボールから普通の高卒の新人は打たんだろうと思って、気やすく投げてきよった。油断やった」
バッテリーを組んだ36歳の右腕・佐々木宏一郎も「なかなかいいリードをする子。カーブを3球続けて投げさせたり、ビックリしたよ」と舌を巻き、7回には「走ってくるのがわかってた」と“近鉄特急”の異名をとる藤瀬史朗の二盗も阻止するなど、攻守にわたって見せ場をつくった。
同年は50試合に出場し、打率.282をマーク。高卒新人では歴代5位(当時)となる8本塁打も記録している。
「いい度胸してるよ」と巨人のコーチに一目置かれる
正捕手不在というチーム事情が“追い風”になったのが、大洋・谷繁元信だ。
1989年にドラフト1位で入団した谷繁は、オープン戦で本塁打を打つなどの活躍が認められて開幕一軍切符を掴む。
そして、開幕直前の4月4日。正捕手・若菜嘉晴が日本ハムに放出されると、市川和正のサブという形でチャンスがめぐってきた。
後に谷繁自身も「あのトレードがなければ、4番手以降であまり出番がなかったかもしれない」と回想している。
開幕2戦目の4月11日の広島戦。8回に代打で登場した谷繁は、川口和久からプロ初打席・初安打を記録。
5月18日のヤクルト戦では、不振の市川に代わって「7番・捕手」で初めて先発出場をはたした。
テンポの良いリードは投手陣に好評で、古葉竹識監督も「(スタメンで)出せば、そこそこの仕事をする。使ってみたい気にさせる選手だ」と、6月6日の巨人戦まで13試合連続先発で起用。
5月27日のヤクルト戦では、尾花高夫から33打席目にしてプロ初本塁打を放った。
6月1日の巨人戦では、岡崎郁の死球をきっかけとする乱闘に加わろうとして、巨人・中村稔コーチに「おい、やめとけ」と制止されたが、「いい度胸してるよ」と一目置かれたというエピソードも……。
同年は80試合に出場。打率は.175ながら、1年目から出場機会に恵まれたことが、史上2人目の3000試合出場という金字塔をもたらした。
高卒の新人捕手では“史上初”の開幕戦安打を達成
一方、高卒新人捕手として史上初の快挙を達成したのが、2006年の西武・炭谷銀仁朗である。
オープン戦11試合で打率.321・2本塁打と結果を出し、3月25日のオリックス戦に捕手としてスタメン出場。高卒新人では、1955年の谷本稔(大映)以来、実に51年ぶりの開幕先発捕手としてデビューを果たした。
7回には川越英隆のカットボールを中前に運び、高卒新人捕手では史上初の開幕戦安打も達成している。
さらに翌26日のオリックス戦では、19歳の涌井秀章と10代バッテリーを組み、7回を1失点でチームをシーズン初勝利に導く活躍。「怖いもの知らずだな。炭谷がうまく(涌井の良さを)引き出した。ベンチでは“また、あいつら内角にいったよ!”って、ドキドキしながら見ていた」と、同じ捕手出身の伊東勤監督を脱帽させた。
そして、3月29日のソフトバンク戦では2回に満塁、6回にも2ランと、高卒ルーキーでは1993年の松井秀喜(巨人)以来の1試合2発で勝利に貢献している。
プロ1号の満塁弾については「風が逆に思えたので、入らないと思いました。ソフトバンクファンが多くて歓声が上がらなかったから、ヒットかと思いました」と語っている。
その後、打率1割台と低迷して5月に登録抹消も、シーズン終盤に細川亨が左手首を負傷すると、再びスタメンマスクをかぶって54試合に出場。4年目に正捕手の座を掴んだ。
西武といえば、2014年にドラフト1位で入団した森友哉もまた、イースタンで打率.341の打力が買われて一軍初昇格をはたすと、7月30日・31日のオリックス戦では2試合続けて代打安打。高卒新人がプロ初打席から2打席連続安打を記録するのは、1985年の湯上谷宏(南海)以来、29年ぶりの快挙だった。
本職の捕手も、田辺徳雄監督代行に“新8時半の男”と命名され、大差がついた試合終盤で経験を積んで急成長。本拠地初スタメンとなった8月29日のオリックス戦では、4回に初めて二盗を刺すなど、捕手として初めてフル出場し、初のマルチ安打も記録している。
勝利投手の菊池雄星とともに上がったお立ち台で「ここからがスタートかなと思う」と闘志を新たにした森は同年、出場41試合(捕手として24試合)。打率.275・6本塁打の成績を残している。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)