白球つれづれ2022~第40回・両者の明暗を分けた「追う者の強み」
2022年10月2日。プロ野球に新たな伝説が誕生した。
仙台で行われた楽天戦に逆転勝利したオリックスに対して、勝つか引き分けなら優勝のソフトバンクは千葉のロッテ戦で散った。
首位から最大11.5ゲーム差離され、6月末の時点では5位に沈んでいたオリックスが、最終戦までマジック点灯なしで頂点をつかんだ。まさに歴史に残る逆転連覇だ。
プロ野球の長い歴史の中には、今でも記憶される死闘がある。
最も有名なのは、1994年の中日対巨人戦。10月8日に同率首位で並んだ両軍が最終戦決着に挑んだ。結果は槙原寛巳、斎藤雅樹、桑田真澄の三本柱を惜しげなくつぎ込んだ巨人が6-3で勝利、長嶋茂雄監督の胴上げが実現した。この時のテレビ視聴率は実に48.8%を記録している。
1988年10月19日に川崎球場で行われた「近鉄の悲劇」も忘れられない。
当時はダブルヘッダーが行われていた時代。敵地に乗り込んだ近鉄の優勝条件はロッテ戦の連勝だけだった。
第1試合を制した近鉄は第2試合も緊迫戦に持ち込む。試合は4対4のまま終盤にもつれ込み、ここでドラマが起こる。
9回裏ロッテの攻撃中に、二塁牽制死を巡って「走塁妨害」を主張するロッテの有藤通世監督が9分間にわたる猛抗議。結果は覆らず、延長戦にもつれ込んだが当時の試合規則では4時間経過時点で試合は打ち切り。この9分間が後々に響いて、延長10回4-4の引き分けとなり、パリーグの覇権は西武が握った。
「勝つしかない」オリックスと「勝たなければならない」ソフトバンク
オリックスとソフトバンク。マラソンに例えるなら42.195キロを走って同着でテープを切った。共に76勝65敗2分け。ここで優劣の決め手となったのは当該チーム同士の勝敗(オリックスの15勝10敗)である。
メジャーなら1試合限定の優勝決定試合を行うケースだが、日本ではクライマックスシリーズが誕生以降、現行ルールに変わっている。
こうした事情を差し引いて、両者の明暗を分けたのは、勝負事の鉄則でもある「追う者の強み」だったのではないか?
「勝つしかない」と無心になれるオリックスに対して、ソフトバンクは「勝たなければならない」と言う心理状態に追い込まれている。
象徴的だったのはソフトバンクの若手投手が流した涙だ。
マジック1で臨んだ1日の西武戦では9回に登板した藤井晧哉投手が山川穂高選手にサヨナラ2ランを浴びて、捕手の海野隆司選手と共に泣き崩れている。最終決戦となったロッテ戦でも逆転3ランを許した泉圭輔投手が敗戦の責を負ったようにベンチで泣いている。
これに対してオリックスは2点の先制を許した直後から登板した宇田川優希や抑えを任された阿部翔太投手らがのびのびと快速球を投げ込んだ。
決戦前の円陣で中嶋聡監督は「優勝の事を考えるな」と力説したと言う。
ソフトバンクの藤井、泉もオリックスの宇田川も阿部も今季から本格的な戦力になった有望な投手たちだ。シーズン中通りの力を発揮したオリックス勢と優勝を目の前にして本来の姿を見失ったソフトバンク勢。ほんのちょっとした心理状態と重圧の差が明暗を分けたように思える。
大阪・京セラドームと福岡・ペイペイドームではパブリックビューイングが行われた。共にビジターの最終戦は雨天中止など屋外球場での日程消化が遅れたためだ。特に追われる立場に立ったソフトバンクとすれば、最後の2試合が本拠地なら結果は変わっていたかも知れないと言う思いはあっただろう。これもまた明暗を分ける「日程のあや」である。
ペナントレースの決着はひとまずついたが、戦いの場はクライマックスシリーズに移る。3位の西武を破って、ソフトバンクはオリックスとの直接対決に持ち込めるか。オリックスにとっては今年こそ、日本一の称号が欲しい。
歴史的な激闘は、まだ第1章を終えたばかりだ。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)