コラム 2022.10.05. 06:29

“伝説の10.19”だけじゃない…こんなにあった!球史に残る「露骨な遅延行為」

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伝説として語り継がれる“10.19決戦” (C) Kyodo News

球史に名を刻んだ「2022.10.02」


 プロ野球の2022年シーズンも、あっという間にレギュラーシーズンの全日程が終了。

 パ・リーグは10月2日の143試合目まで優勝が決まらないという空前の大激戦となり、オリックスが奇跡の逆転連覇を成し遂げた。




 優勝をかけた決戦ということで、今週は特に過去のプロ野球で起きた“伝説の死闘”にまつわる思い出が掘り起こされることも多かったように思う。

 なかでも最も有名なのが、「伝説の10.19」として語り継がれる名勝負。1988年10月19日のロッテ-近鉄の一戦だ。

 同点の9回裏にロッテ・有藤通世監督が二塁上のタッチプレーを巡り、計9分間もの猛抗議。この結果、延長10回時間切れで引き分けとなり、近鉄は逆転Vを逃した。

 今でも「あの長い抗議がなければ、延長11回に入れたのに……」と悔やむ、かつての近鉄ファンも多いはずだ。

 だが、長いプロ野球史を紐解くと、もっと露骨な遅延行為も一度ならずあった。


遅延行為にファンが暴動、監督が解雇される事態に発展


 ノーゲーム狙いの遅延行為に怒ったファンが暴動を起こしたのが、1952年7月16日の西鉄-毎日。いわゆる「平和台事件」と呼ばれる騒動だ。

 雨で試合開始が2時間近くも遅れ、午後4時55分プレーボールとなったこの試合。さらに2回に15分、3回に1時間と2度にわたる降雨中断があり、4回表の毎日の攻撃が終わった時点で日没が迫ってきた。

 当時の平和台球場にはナイター設備がなく、4-5とリードされた毎日は、5回日没コールドで試合が成立すると負けてしまうため、日没ノーゲームを狙って時間を引き延ばす作戦に出た。

 その裏の守りは選手交代などで時間を稼ぎ、守備に就いてからもバッテリー間の長いサインの交換のみならず、突然選手がタイムを要求して水を飲みに行く、凡フライをわざと落球するなど、露骨な遅延行為を繰り返した。

 これに対して、西鉄もわざと三振するなど必死にスピードアップを図ったが、無造作に振り回したバットにボールが当たって本塁打になる“交通事故”などで4点が追加され、余計に時間がかかってしまう。


 そして、5回表の毎日の攻撃が始まったのだが、なかなか打席に立とうとしない。

 そうこうしているうちに球場内が夕闇に包まれたので、審判団が協議のうえ、午後6時17分にノーゲームが宣告された。

 勝ち試合を遅延行為でパーにされた地元・西鉄ファンは当然収まらない。

 約400人がグラウンドに飛び降り、「湯浅(禎夫監督)と毎日が責任を取れ!」と抗議。球場の外もファンが大挙して待ち構えているため、毎日の選手はグラウンドを出ることもできない。

 仕方なく湯浅監督が「これは私の指示ではなく、数名の選手が自身の判断で取った行動です。勝負にこだわり過ぎた結果で、誠に申し訳ありません」と謝罪したが、選手に責任転嫁するような発言がファンの怒りを倍加させ、騒動は深夜にまで及んだ。

 事件後、湯浅監督は責任を問われ解雇。遅延行為により、監督の首が飛ぶ“前代未聞”の結末となった。


クリーンアップ3連発が遅延行為でふいに…


 クリーンナップの3連発が遅延行為で幻と消える珍事となったのが、1968年9月8日の中日-阪神だ。

 0-5とリードされた阪神は4回、3番・遠井吾郎が右越えソロを放ち、反撃の狼煙を上げる。

 4番のウィリー・カークランドも右越えに豪快な一発で続き、5番・藤井栄治も右越えに3連発。一気に2点差まで追い上げた。

 ところが二死後、本屋敷欣吾が打席に入るころから雨が降りはじめた。

 結局、この回は3点止まり。もし5回降雨コールドで試合が成立すると、阪神は負ける可能性が高い。

 巨人とV争いの真っ最中で、最下位・中日相手に取りこぼすわけにいかない藤本定義監督は、ノーゲームにしてしまおうと考えた。


 その裏の守備でまずレフトを代え、代わった選手はノロノロと守備位置へ。

 やっと守備に就いたと思ったら、今度は捕手を交代し、これまたノロノロ。

 さらに中日の打者がハーフスイングっぽくバットを止めると、ここぞとばかりに「振った」と抗議するなど、遅延行為を繰り返した。

 そして5回表、先頭の柿本実の打席中に雨が激しくなり試合中断。24分後、狙いどおりノーゲームになった。

 「これでツキが回ってきたようやな」と破顔一笑した藤本監督だったが、結局のところ同年はV逸。

 1985年にランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のバックスクリーン3連発で勢いづいて優勝したことを考えると、雨に消えたライトスタンド3連発の代償は高くついたかもしれない。


「10.19」の川崎球場で再びロッテの遅延行為


 冒頭で触れた「10.19」から3年後の1991年、因縁の川崎球場で、またもやロッテの遅延行為が問題になった。

 9月1日の西武戦。9回に上川誠二のソロで6-6の同点に追いついたロッテは、なおも一死一塁で、二ゴロの間に二塁を狙った一塁走者の西村徳文が、クロスプレーの際に奈良原浩と激突。むち打ち症のような状態となり、ベンチで医師の診断を受けることになった。

 当時は4時間を過ぎると時間切れで次のイニングに入れないルールだったが、この時点で3時間42分を要していた。

 審判団は試合進行を早めるため、西村に代走を送るよう要望したが、ロッテ・金田正一監督は「(俊足の)西村をサヨナラの走者で使いたい」と主張して譲らない。

 14分後、ようやく診断を終えた西村がグラウンドに戻ってきたが、金田監督はあと4分で時間切れと知りながら、ゆっくりベンチを出ると、今さらながら「西村の状態が良くない」と言って、代走を告げる。

 結局、ロッテの攻撃が終わったとき、4時間を1分超過していたため、時間切れ引き分けに……。

 サヨナラ負けという最悪の事態は回避したものの、18勝3敗と“お得意さん”の最下位・ロッテと引き分ける羽目になった西武・森祇晶監督は「露骨なんてもんじゃない。負けに等しい引き分けや」と試合後も怒り心頭だった。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
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