「育ててくれた方。超えたいです」
今年も中日・大野雄大にとって、年明け一発目の練習は、地元・京都市だった。
市内を一望できる大文字山を駆け上がる。頂上まで走り、口にした目標は、まず「7勝」だった
なぜ、7勝か。通算勝利数を91へ伸ばせば、球団OB・今中慎二さんの通算白星に届くから。
大野の通算成績は84勝86敗。「ひとつの目標にしてきました」。入団13年目でようやく公言できた“今中超え”宣言。7勝して並び、もう1つ勝って超えたい。
2人が同じユニフォームを着た師弟関係にあったのは、2012年からの2年間。今中さんは2013年に二軍で、翌年は一軍で投手コーチを務めた。
左肩を痛めて入団した大野は、ルーキーイヤーの2011年はわずか登板1試合に終わっている。2年目は一軍で9試合。プロ3年目は一軍定着した初年度。そのシーズン、今中さんが一軍の投手コーチだった。
「僕の3年目(=2013年)のときの一軍投手コーチ。初めて規定投球回に到達し、初めて2ケタ勝利(10勝10敗)した年です。最初勝てなくても、ずっと使ってもらっていました。育ててくれた方。超えたいです」
初完投も2013年。速球でひたすら押すスタイルだった背番号22。天候不良のため、試合がなくなった日だった。屋内練習場で、落ちる球を伝授された。今中さんは「これで勝てるようになるよ。見ててみぃ」と語っている。
その後の大野の活躍はファンもご存じのはず。落ちる球はツーシームとなって、今の左腕を支えている。なくてはならない持ち球。2020年には沢村賞に輝くなど、記録に残る選手となった。
「『僕の方が上ですね』と送りたい」
記録を比較する。勝ち星は7差で、登板試合数は6差。完封は16で並んでいる。
ただ、先人の完投74に対して、大野は32。イニング数と奪三振数は上回っている。
通算防御率は大野雄が3.04で、今中さんは3.15。先発完投と、ブルペンを含めた分業制。時代が違うから、成績を単純に比べるのはナンセンス。ただ、大野にとっては、時代は変わっても参考にし、超えたいのが今中さん。感情の問題として、追いつき、追い越したい。
「僕はあと7つで追いつきます。ですが、実働年数を考えると超えて当たり前なんですよね。『何とか超えられました』とお伝えしたい。LINEで『僕の方が上ですね』と送りたいです」
大野は今年が大卒で13年目。今中さんは高卒で13年目の2001年に引退している。
すでに、LINEの返信も想像がついているという。
「『まだまだしょぼいわ』と言われそうです。今年、しっかり超えないといけないですね」
教えられたのは、ツーシームだけではない。場面に応じた、試合を通した投球のマネジメントを口酸っぱくたたきこまれた。
どれだけできるようになったか、自身をもって「できます」というには早い気がしている。背番号22にとって、師匠はいつまでも師匠なのだ。
誰にだって、恩師や師匠がいる。まず、数字で比べられるのがうれしい。超えれば、喜びはなお大きい。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)