セ新人一番乗りの本塁打
中日のドラフト7位、“しんがりルーキー”の放った飛球がレフトスタンドを越えた。
こどもの日だった5月5日の巨人戦(バンテリンドームナゴヤ)。竜打線は8回に一挙6得点のビッグイニングをつくった。
仕上げの一打は福永裕基。巨人6番手左腕・代木大和の投じた142キロの内角球をフルスイングしてプロ1号2ラン。セ・リーグの新人としての第1号を放った。
「少し詰まりましたし、上がり過ぎたので入ってよかったです」
両手に残る感触を確かめながらダイヤモンドを一周した。白球は、翌6日のゲームを観戦した両親にプレゼントした。
凧の中心に記した「叶」の文字
滋賀県東近江市出身。「自然に囲まれたところで、走り回っている子ども時代でした」。天理高へ進み、専修大から社会人・日本新薬へ。
入社2年目と3年目の2度、プロの指名漏れを経験。「プロでやれる」と信じ込んでアマ球界で鍛錬を積んだ。
粘り強く、プロを目指した。地元には「世界凧博物館 東近江大凧会館」があるという。大きさ100畳のたこが展示されている。小学生のころ、授業の一環でたこを作成したのは思い出深い。
「テーマを『夢かなうまで挑戦』と決めました」。凧の中心に漢字で「叶」と書き込んだ。まわりに、鳥が戦う絵を描いた。
鳥は野球少年の自分自身。競争に勝ち続けた者だけが生き残れる世界。高卒でもなく、大学からもなく、社会人の4年を経てプロ入り。指名漏れは翼を傷つけたのではない。より大きく、遠くへ羽ばたくための成長期間となった。
強固な「叶」を心の中心に据えているから、ちょっとやそっとじゃ折れない。
3日の阪神戦(甲子園)では適時失策。チームの勝ちを消した。「ボクのせいで負けました」とコメントを残したのは、二塁スタメンとして、出場を続ける責任を負っている自覚があるから。
首脳陣やチームメートに「大丈夫」「いい経験になる」と声を掛けられた。
「この後が大事だ、必死にやろうと思って試合に臨みました」
結果として、その2日後にプロ1号は待っていた。
インパクトを与え続けるドラ7ルーキー
1号を放った翌6日には決勝打をマークした。
8回二死二塁の場面で、巨人2番手・三上朋也のやや内寄り146キロ真っすぐを引っ張り込んで三遊間を破った。
フルカウントからの9球目。外角スライダーと直球系の内角球の探り合いを制して渾身の一打につなげた。
まだ5月。始まったばかりの福永のプロ生活。好スタートを切ったのは間違いない。
「プロ野球は、見る側は華やかな部分に目がいきます。やる側は毎日試合があって体力がきつかったり、つらいこともあったり『大変な仕事』、仕事って言ったらあれですけど……」
毎日、ゲームがある。「減りやすいんです」という体重管理も仕事の一部。打って、走って、守って、食べて。今年の9月で27歳、高校時代は奈良大会の決勝で巨人・岡本和真を擁する智弁学園に敗れて、甲子園の土は踏めなかった。
遅れてやってきた竜の二塁・福永裕基がセ・リーグにインパクトを与え続ける。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)