DeNA・山﨑康晃 (C)Kyodo News

 今季もプロ野球はセ・リーグが面白い。

 昨季は優勝した巨人から4位広島まで4チームが10ゲーム差に収まる大混戦。終盤に巨人が抜け出したが、2位阪神と3位DeNAも最後まで粘りを見せた。

 そして迎えたポストシーズンはDeNAの独壇場だった。ポストシーズンで上位チームを次々となぎ倒し、最後はソフトバンク相手に2連敗から4連勝し、26年ぶりとなる日本一に輝いた。

 今季は2年連続日本一とともに1998年以来のリーグ制覇を狙うDeNAの戦いぶりに注目が集まるが、守護神奪還を誓う山﨑康晃の存在も気になるところだ。

 区切りのプロ10年目となった昨季は、防御率こそ前年(23年)の4.37から1点以上良化させ、3.35と復活の気配も見せた。しかし、登板数は自己最少の38に留まり、4セーブ、11ホールドとかつての輝きを取り戻すには至っていない。

 山﨑のプロ生活10年を前後半の5年ごとに分けると、かなり極端な数字が浮かび上がる。新人王に輝いた1年目から5年目までは毎年57試合以上に登板し、合計163セーブを積み上げた。もし5年目までのペースを維持すれば、35歳で迎える13年目のシーズン(2028年)半ばに400セーブに達し、岩瀬仁紀(元中日)が持つ407セーブの日本記録を超える勢いだった。

 ところが6年目から昨季までの5シーズンで記録したのは68セーブ。そのうちの37セーブを2022年に挙げたが、他の4シーズンの成績が振るわない。

 山﨑が不振に陥るターニングポイントとなったのが、6年目の2020年シーズンだった。

 世界の景色を激変させた2020年の新型コロナショックがあった年である。3月に予定されていたプロ野球の開幕は遅れに遅れて、シーズンが始まったのは6月中旬。交流戦やオールスターは中止となり、約1か月間は全くの無観客で公式戦が行われた。

 春先から世界中でソーシャルディスタンスが叫ばれ、選手たちは練習もままならない日々が続いた。また、公式戦が始まって以降も選手らには様々な制約が課された。

 そんな影響を大きく受けた1人が山﨑だ。「ヤ・ス・ア・キ」の掛け声に合わせてファンがジャンプする名物応援の“ヤスアキJUMP”が、有観客試合に切り替わった後も禁止された。もっとも、2022年までは声出し応援自体が禁止されており、“ヤスアキJUMP”が解禁されたのもほんの2年前のことである。

 普段からファンとの交流を大事にしていた山﨑にとって、大声援の後押しがない中でマウンドに登ることは思いのほかマイナス要素だったのだろう。

 また、不動の守護神として迎えた20年は開幕から2試合連続でセーブを挙げていたが、3試合目の阪神戦で打ち込まれ3失点。シーズン初黒星を喫したが、この試合もターニングポイントの一つとなった。

 山﨑はこの試合でプロ入り6年目にして初めての牽制球を投げたのだ。些細なことだが、この試合を境に調子を落として、その後に中継ぎへ配置転換されたように、牽制球が山﨑のリズムを崩すきっかけとなった可能性も考えられる。20年は結局、6セーブに終わり、翌21年も1セーブと、一気にスローダウンしてしまった。

 山﨑にとっては“負の5年間”が終わり、気分を一新して11年目のシーズンに臨みたいところ。再び“岩瀬超え”を狙えるようなかつての投球を見せることができるか。まずは春季キャンプで首脳陣にしっかりアピールし、オープン戦で圧倒的な結果を残したい。

文=八木遊(やぎ・ゆう)

【八木遊・プロフィール】
1976年、和歌山県で生まれる。地元の高校を卒業後、野茂英雄と同じ1995年に渡米。ヤンキース全盛期をアメリカで過ごした。米国で大学を卒業後、某スポーツデータ会社に就職。プロ野球、MLB、NFLの業務などに携わる。

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