白球つれづれ~第30回・井口資仁
これだけど派手な引退試合は記憶にない。ロッテの井口資仁が21年の現役生活に別れを告げた。
本拠地・ZOZOマリンで行われた日本ハム戦に6番DHで出場。2点ビハインドの9回裏に自らの中越え本塁打で同点に追いつくと、延長12回には鈴木大地の右前打でサヨナラ勝ち。地鳴りのような歓声が球場全体を突き抜け、歓喜の涙を流すファンもいる。輪の中心にはもちろん42歳の老雄がいた。
試合開始の3時間前には、球場の外まで長蛇の列が出来上がる。井口の引退試合と銘打たれたこの日ばかりは、すでに球団ワーストの敗戦記録も、最下位にあえぐチーム事情も関係ない。引退記念グッズを買い求め、球団が用意した井口の顔写真と裏には背番号にちなんだ「6」の応援ボードが全員に配布される。満員札止め。ついにはスタンドに入りきれなかったファンのため、球場正面には特設ビジョンが用意されて井口コール。何とも幸せな男だ。
1996年に青山学院大から逆指名でドラフト1位入団。1年目から強打の遊撃手として順調なプロ人生のスタートを切る。その年の5月の近鉄戦でデビューすると、いきなり史上初の新人初ゲーム満塁本塁打も記録。99年には王貞治率いるダイエー(現ソフトバンク・ホークス)の主軸として初のリーグ優勝、日本一に貢献した。
その後は2004年に、かねてからの夢だったメジャーリーグ挑戦を表明してホワイトソックス入り。ここでもバント、右打ちと自己犠牲の二番打者としてチームのワールドシリーズ制覇の原動力となりチャンピオンリングを手にした。
井口のほかにも松井稼頭央、岩村明憲や川崎宗則らメジャーに挑戦した内野手はいるが、決して成功したとは言えない。それでも井口の場合は二塁手として守備の評価も高く06年の「ベースボールアメリカ」誌が実施したMLB監督による「守備に定評のある選手」部門で全選手中、2位に選出されている。その後、フィリーズやパドレスに移籍と4年間の米国生活は不完全燃焼に終わるが、貴重な体験がその後のロッテでの9年間にも生かされたのは言うまでもない。
井口尽くし
ゲームが始まるとロッテ選手全員が背番号6のユニフォームを着用。本人には事前に知らせずサプライズでの行動だった。始球式には長女の琳王(りお)さんが登場して大役を果たす。「井口尽くし」はこれだけでは終わらない。5回終了時には「井口パーティータイム」と称して、全員が配布された応援ボードを掲げて大声援。イニング毎に大型ビジョンでは出場選手のプロフィールが紹介されるがこの日は特別に井口への個人メッセージが加えられた。この部分が興味深かったのでいくつか列記してみる。
「また、一緒に野球がやれたらうれしいです。(個人的にも)相談に乗ってください」(先発した涌井秀章)
「また、同じユニフォームで戦えることを」(角中勝也)
さらに、ダメ押し?のようにファンから井口へのメッセージも「監督として待っています」「また、帰ってきてください」と続く。
すでに、スポーツ紙を始めとした報道で来季のロッテ新監督就任が確実視されている。本人はこの日、「いずれまた(ユニフォームを)着たい気持ちはある。明日以降、考えたい」と明言は避けた。組閣を含めた条件面などで詰めるべき部分はあるが、大筋は受諾の方向とみられる。
球団でこの引退試合の企画が検討されだしたのは夏の頃。そして、この異例ともいえる井口デーは球団が周到に用意した「公開プロポーズ」の狙いもあったのではないか?最後はナインの手で胴上げされた井口。仏の顔はもうまもなく、指導者として鬼の顔に変わっていくかも知れない。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)