コラム

亡き恩師との約束だったプロ入り 復活が待たれる広島・高橋昂也の“強み”

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広島・高橋昂也 (C) Kyodo News

守った亡き恩師との“約束”


 そばで見た者だけに分かることがある。広島の高卒4年目左腕・高橋昂也投手(21)は、恩師に未来を言い当てられた。


 「お前はプロになれるよ」

 そう伝えられたのは、小学3年で埼玉県久喜市の少年野球チーム「栗橋ジャイアンツ」に入団した直後のことだった。

 当時は、控え投手。まだ芽も出ていなかった才能が、指導者としてチームに携わっていた斎藤勝博氏の目に留まった。


 同氏は、福崎高校から1962年に巨人入団。通算25試合に出場し、1967年に現役を引退した元プロ野球選手だった。引退後もブルペン捕手として最前線でプロの球を受け続けてきた経歴の持ち主に認められ、元プロとの師弟関係が始まる。

 練習中の指導はもちろん、平日の夜であろうと、実家の電話が鳴ることもあった。「いま来られるか?」。声がかかれば、マンツーマンでのシャドーピッチングに出かけた。

 しかし、ふたりの師弟関係はわずか3年間で、強制的に終わりを迎えることになる。高橋昂が小学6年のとき、同氏はガンの宣告を受けた。


 見舞いに向かうと、将来の話に及んだ一瞬だけ同氏から温厚さが消えた。

 「お前、本当にプロになるんだよな!」

 「はい。なります」

 迫力に押されるように答えた返事が、初めてプロ野球選手を将来の夢に公言した瞬間だった。


 まもなくして恩師は、天国へと旅立ち、直接プロのユニホーム姿を見せることはかなわなかった。

 それでも、無名だった小学生時代から一転、藤平尚真(横浜高→楽天)、今井達也(作新学院高→西武)、寺島成輝(履正社高→ヤクルト)とともに「高校ビッグ4」と呼ばれるまでに名を上げて、プロ入りの約束を果たすことになる。


幼少期に垣間見せた“勝負師”の顔


 斉藤氏は、非凡な才能を見逃さなかった。一方、誰よりも近くで成長を見守ってきた父・敏樹さんも、ある長所に気がついていた。

 「緊張しているところは、見たことがないです」

 マウンド上での冷静さは、武器である。高校時代の恩師、花咲徳栄・岩井隆監督も「感情を顔に出すことはほとんどなかった」と振り返る。ただし、父親から見れば、わずかばかりの表情の変化に闘争心を感じるのだと言う。


 象徴的な場面がある。

 高2夏の埼玉県大会は、3年生右腕が先発、背番号18の高橋昂が救援する継投策で勝ち上がっていた。そして迎えた決勝戦、9回で5-2と3点優勢ながら、二死満塁の窮地となったところで登板を命じられた。

 初球はバックネットに当たる大暴投。手元が狂った。2点差に迫って盛り上がる相手高校の応援席を見たとき、“鉄仮面”の表情が変わった。

 「“キッ”とまるで睨むかのような目つきに変わったんです。そこから見逃し三振にして甲子園行きを決めた。昂也の真骨頂を見た気がしました。この場面を一番に思い出します」


 幼少期から、勝負師の顔を持ち合わせていた。

 「突然、スイッチが入るのは、小さなころから変わらないですね。“仮面ライダークウガ”の変身ベルトをつけたとたんに目つきが悪くなっていました」と、父・敏樹さんは笑って振り返る。


 プロ入り後も、持ち前の強心臓で戦ってきた。

 高卒2年目の2018年には、開幕ローテーションに入った。6月28日の巨人戦(マツダ)では、相手先発・菅野智之に投げ勝ち、プロ初勝利も挙げた。1年間で計6度の降格を味わったのは、優先的に一軍マウンドを与えられた期待の証だった。

 しかし、飛躍を期した3年目に一旦停止を迫られる。昨年2月、左肘の関節内側側副靱帯再建術と尺骨神経はく離術を受けた。トミー・ジョン手術である。

 現在は、懸命なリハビリを続けながら、今季中の一軍復帰も視野に入れている。満足に投げられない術後に、「バランスよく投げたい」と2段モーションを導入したように、向上心は保たれたままだ。


 復帰登板は、そう遠くないと願う。そして、一軍のマウンドに帰ってきたとき、変わらない冷静な表情を浮かべながら、目元は鋭くギラついていることだろう。


文=河合洋介(スポーツニッポン・カープ担当)
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