近いようで遠い10年前
あの年、巨人のアレックス・ラミレスが49本塁打、129打点で二冠に輝いた。
確かラミちゃんは王貞治を超える8年連続100打点のプロ野球新記録で特別表彰されたんだよな……といきなり妙に懐かしい記憶が甦る。CD年間売上げTOP10をAKB48と嵐の2グループが独占。なお平成の『週刊プレイボーイ』表紙登場回数1位はAKB48の57回(2位は21回の小倉優子)だ。
「食べるラー油」が大ヒットし、NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』で向井理のイケメンぶりが話題となり、横綱の朝青龍が引退して、サッカーの南アフリカワールドカップで日本代表がベスト16に進出。代表の顔が中村俊輔から本田圭佑へと世代交代したのもこの大会だ。野球界ではボールカウントのコールがこれまでとは逆の「ボール、ストライク」の順に変更された。
これらはすべて今から10年前の出来事である。球界の2010年代を独断と偏見でシーズン別に振り返る連載『バック・トゥ・ザ・プロ野球 201×』。第2回のテーマは「2010年(平成23年)」だが、さすがに記録や映像を見ても時の流れを感じさせる名前が多い。
横浜のチーム最高打率打者は「そう言えばいた!」なんつって野球ファン同士で盛り上がりそうなハーパーの.316、チーム最多本塁打はスレッジの28本だ。いまやメジャーリーガーの前田健太(広島)は28試合(215.2回)に登板し、15勝8敗、防御率2.21で球団史上初の投手三冠に加え、沢村賞も受賞した。
オールスター戦ではブラゼル(阪神)が一発を放ち、全セベンチ前で陽気に“ブラダンス”を披露。ちなみにこの年のセ・リーグMVPは和田一浩(中日)、パ・リーグは和田毅(ソフトバンク)の“ダブル和田”である。さて、そんな近いようで遠い10年シーズンをランキング形式で振り返ってみよう。
彼らの10年前は…
▼ 第5位 新世代の大砲 T-岡田が22歳で本塁打王獲得
10年前、高卒4年目のひとりのスラッガーが注目を集めていた。33本塁打でパ・リーグ本塁打王に輝いたT-岡田(オリックス)である。
この年、岡田彰布新監督が率いるオリックスはシーズンこそ5位だったが、交流戦で初優勝。エース金子千尋が13連勝を含む17勝を挙げ最多勝を獲得(和田毅も17勝で同時受賞)。最高出塁率のタイトルを獲った4番カブレラ、ノーステップ打法でホームランを連発した5番T-岡田のコンビは他球団の脅威となった。
あの頃、日本代表の次代の大砲はオリックスの背番号55と誰もが期待した逸材。19年はわずか1本塁打に終わったT-岡田だが、オフにプエルトリコのウインターリーグに参戦。2020年、32歳の勝負のシーズンを迎える。
▼ 第4位 城島健司、金本知憲、工藤公康らがいた時代
あの大物たちも10年前は現役選手だった。
日本人捕手として初のメジャー移籍を実現させた城島健司は、阪神で日本球界に復帰後、初安打初打点をマークした3月26日横浜戦(京セラドーム)の開幕お立ち台で「長崎県佐世保市から来ました城島です」と挨拶、翌27日には10年ぶり自身3本目のサヨナラアーチを放った。
この年の真弓阪神は首位中日とわずか1ゲーム差の2位だったが、長年チームを支えた金本知憲(阪神)は4月18日の横浜戦で先発メンバーから外れ、連続試合フルイニング出場が「1492」で途切れる。
16年ぶりに古巣に復帰した工藤公康(西武)は7月20日のソフトバンク戦に登板。現在、指揮を執るチームを相手に現役最年長サウスポーは、自身の持つ実働29年のプロ野球記録を更新した。
一方でイースタン・リーグの湘南シーレックスではルーキー筒香嘉智が26本塁打、88打点で二冠獲得。ウエスタン・リーグの打率7位に広島3年目の丸佳浩がランクインし、一軍デビューを飾るなど球界の世代交代は着々と進んでいた。
▼ 第3位 ドラフト会議で早大から1位指名3名の快挙
ついに甲子園と六大学を沸かせた“ハンカチ王子”がプロ入りへ。10年ドラフト会議は斎藤佑樹(早大)一色である。
人気面先行と思われがちだが、当時の『週刊ベースボール』ドラフト特集号では「抜群の制球力と完成度の高さが魅力の注目度ナンバーワン右腕」と実力面も即戦力の評価だった。
斎藤には4球団が競合し日本ハムが交渉権獲得。早大からはさらに6球団競合の大石達也(西武)、広島の福井優也(現楽天)と3名が1位指名を受け話題に。時は流れ、大石はすでにユニフォームを脱ぎ球団スタッフへ、31歳のハンカチ王子は先日結婚を発表した。
なお斎藤の抽選を外したヤクルトは、外れ外れ1位で山田哲人を指名。7年ぶりのリーグ優勝を果たしたソフトバンクは2位で柳田悠岐(広島経済大学)、育成4位千賀滉大(蒲郡高)、同6位で甲斐拓也(楊志館高)と、のちに10年代のチームの中心を担う人材を確保している。
▼ 第2位 ロッテが史上最大の下克上達成
リーグ3位のロッテがクライマックスシリーズで西武とソフトバンクに競り勝ち、日本シリーズでもセ覇者中日を4勝2敗1分けで下し下克上日本一を達成。この年、本拠地ナゴヤドームでは51勝17敗、勝率.750と圧倒的な強さを誇った落合中日もロッテの勢いを止めることはできなかった。
リードオフマンの西岡剛が206安打に打率.346と二冠を獲得する活躍でチームを牽引。ポストシーズンでは今江敏晃が4割を超えるハイアベレージに6打点の勝負強さで自身2度目の日本シリーズMVPを受賞。同時に『週刊プレイボーイ』の表紙に「プロ野球は死なず!」と大きな見出しが踊ったこの年、第1・2・5戦の地上波全国中継が行われない前代未聞のシリーズでもあった(なおそれを受けシリーズ開幕直前に開設されたのがスポーツナビブログ『プロ野球死亡遊戯』)。
“元・国民的娯楽”プロ野球の立ち位置や報道の仕方にも大きな変化が訪れていた時代でもある。
▼ 第1位 マートンが214安打のプロ野球新記録達成
2010年は両リーグ合わせて27人の3割打者が誕生(19年は11人)という極端な打高投低のシーズンだった。
マートン、西岡、青木宣親(ヤクルト)と3名が200安打を達成。その中でも来日1年目のマートンは打率.349(リーグ3位)で、94年のイチローが持つ年間210安打を破る214安打のNPB新記録を樹立。この後、背番号9は6年間で通算1020安打と平成後期を代表する息の長い助っ人選手として猛虎打線を支えた。
そして同年のセ・リーグは2010年代最高の年間863本塁打を記録。ラミレス49本、ブラゼル47本、阿部慎之助(巨人)44本と3名が40本塁打以上を放ったが、シーズン40発以上の捕手は現時点で昨季引退した阿部が最後である。
他にも平野恵一(阪神)が打率.350、和田一浩(中日)が37本塁打、田中賢介(日本ハム)は193安打に打率.335とそれぞれキャリアハイの打撃成績を更新する選手が続出した。そんな打高投低の流れは翌11年の統一球導入であっさり終わりを告げることになるが、それはまた2011年編で。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)