「強打」の看板とは対照的な攻撃が、智弁和歌山を5年ぶり4度目の夏制覇へ導いた。健大高崎との決勝、2-3と逆転された8回裏。智弁和歌山はこの回、3人続けてバントを絡める攻撃を仕掛けた。
無死一塁で楠本龍生は2球続けてバントがファウルになったが、ヒッティングに切り替えて中前安打。続く負傷明けの主将・松本虎太郎が代打で送りバントを決めると、川原一将は初球からスクイズ。ファウルになっても、もう一度。今度は決まり、同点に追いついた。その後、暴投で勝ち越し、そのまま4-3で逃げ切った。
豪快な打撃で相手をねじ伏せる。そんなイメージの強い智弁和歌山だが、その歴史を振り返ると、勝負どころで「あと1点」に泣いてきた過去があった。
筆者の頭に浮かんだのは、37年前の夏だ。
1989年夏、千葉代表・成東との初戦。1-1で迎えた9回裏、智弁和歌山は1死満塁の絶好機をつくった。筆者は当時、塾の夏期講習で生中継を見られず、帰宅してから録画を再生した記憶がある。
甲子園初勝利が目前に迫ったところで、智弁和歌山は初球スクイズを選択。しかし、相手バッテリーに外され、スクイズは失敗に終わった。試合は延長11回にもつれ、最後は1-2で敗れた。
今では信じがたいが、当時の智弁和歌山は甲子園でなかなか勝てなかった。1985年春の初出場から5大会連続で初戦敗退。スコアは1-3、1-2、1-2、2-3、3-4。5試合すべて2点差以内で、2戦目以降は4試合連続の1点差負けだった。
ようやく壁を破ったのが93年夏だ。甲子園初勝利を挙げると3回戦まで進出し、翌94年春には初の全国制覇97年夏には、現在の中谷仁監督が主将だったチームが初めて夏の頂点に立った。
そして中谷監督が3年生だった97年もまた、「強打」の印象だけでは語れないチームだった。
3回戦の福岡工大付戦では中谷自身がスクイズを決めた。決勝の平安戦では大会屈指の左腕・川口知哉を相手に7犠打を記録。4回にはスクイズで追加点を奪い、6得点すべてに犠打が絡んだ。
打てるチームだからといって、打つだけではない。必要なら走者を送り、スクイズまで使って1点を奪う。夏初制覇を果たしたチームにも、そんな一面があった。
そしてそれから29年。かつて高嶋仁元監督の下で主将を務めた中谷は、今度は監督として日本一を懸けた舞台に立った。1点を追う8回に選んだのはスクイズ。一度は決まらなくても、もう一度。今度は同点に追いついた。
もちろん、高嶋元監督と中谷監督の采配を単純に同じものとして語ることはできない。それでも智弁和歌山の歩みをたどれば、必要な1点をどう奪うかという問いは、時代をまたいで何度も現れてきた。
「強打の智弁和歌山」が日本一をたぐり寄せた8回の2得点に、タイムリーはなかった。強打だけでは勝ち切れない試合で、「あと1点」をどう奪うか。その答えの一つが、あの8回に凝縮されていたのだ。
文=八木遊(やぎ・ゆう)