左ひじのトミー・ジョン(TJ)手術を米国で受けたオリックスの宮城大弥投手が、大阪・舞洲の球団施設で1年後の復帰にむけリハビリをスタートさせた。
「一番は、将来の不安をなくすことでした。(プロ野球を)辞める時にいい選択だったと思えるようにリハビリを頑張りたいと思います」。宮城がリハビリの合間を縫っていつも通り、誠実に取材に応じてくれた。
異変が起きたのは、4月9日のロッテ戦(京セラドーム)だった。1-0の6回。無死満塁から二者連続して空振り三振を奪い、次打者への初球がボールになったところで緊急降板。翌日に「左ひじ内側側副靭帯損傷」と診断された。国内の専門医のセカンドオピニオンを受け、たどり着いたのはほぼ同時期にひじを痛めた山下舜平大投手と同じ、米国での手術だった。関係者によると、自身からとった靭帯に人工靭帯を補強するハイブリッド手術での中でも独特の手法を行う、全米でも極めて数少ない名医という。大谷翔平選手(ドジャース)らが手術を受け、山下もこのドクターが執刀医だ。
「挑戦するなら、安心を求めたかったんです。(日本で)手術は成功しても、症例が少なく、僕としては不安が残る要素が大きかったのです。何十億プレーヤーたちを手術している先生。大谷さんも復帰していいピッチングをされている状態も見ていますから。希望を聞いていただいた球団にも感謝します」と宮城。将来への不安をなくすことが、選択肢の中で一番だったという。
けがには、人一倍、注意してきた。今季も、先発前のインタビューで、何度も「けがだけはしないように」と繰り返してきた。事前にけがに対する不安があったわけではなく、「けがをしなければ(投げる)チャンスも来るし、1軍で投げることができる。ずっと1軍で投げたかったから」というのが理由。エースとしてチームを支えるという決意の表れだった。身体のケアは怠らなかったが、171㎝の小さな体を精一杯使って打者に対峙してきた無理がたたったのだろう。
けがをして離脱したくない理由が、もう一つあった。22年2月に発足し23年度からスタートした「一般社団法人 宮城大弥基金」の存在だ。経済的な理由で野球を断念しなければならない沖縄在住の子どもたちに対し、用具や遠征費を支援することを目的に設立。現在、小学4年生から高校生までの男女計11人をサポートしている。
基金を継続するためには、宮城が第一線で活躍し続けることが条件。来年5月に戦列に復帰する予定であるため基金は継続できるが、年俸は減少する見込みで財源は乏しくなってしまう。「しっかりと時間をかけてレベルアップできるように過ごして、(基金の)子どもたちの手助けができたらなと思います。子どもたちには、普通に頑張っているところをみてもらえたらうれしいです。リハビリが順調に進んで新しい姿で戻ってくることを想像しながら頑張りたいですね」。1年間、試合で投げることができない厳しい状況でも、子どもたちを支援し続け、憧れの存在であり続ける。
取材・文=北野正樹