コラム

熱闘の裏にある人間ドラマ 名将たちの甲子園

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今大会を持って第一線を退く日本文理・大井道夫監督(C)KYODO NEWS IMAGES

白球つれづれ~第25回・名将たちの甲子園~


 夏の全国高校野球選手権もいよいよ大詰めを迎えている。

 今大会はともかく、本塁打がよく飛び出す。準決勝と決勝を残す21日時点で一大会最多の60本を既に4本も更新。このまま行くと70本に迫ろうかという勢いだ。


 99回の歴史を誇る夏の甲子園だが、常に変わらないものもある。「判官びいき」ともいうべき敗者への熱い声援だ。

 何点差がついていても、わずかな奇跡を信じて立ち向かう球児たち。すると球場全体から地鳴りのような拍手と歓声が沸き起こる。頂点に立てるのはわずかに1校…。まして夏の大会は負ければ明日はない。そう、甲子園は最も涙の似合う戦場なのかも知れない。

 そんな中で甲子園に人生を賭けた名将たちの人間模様にも多くのドラマがある。8月18日に行われた2回戦の3試合に「男たちの散り際」が凝縮されていた。


「幸せな男」悔いなき勇退


 大井道夫、75歳。新潟・日本文理高を率いて32年の老将は、仙台育英に0-1の惜敗にも笑顔で聖地を後にした。

 「甲子園で始まって、甲子園で終われる。幸せな男だな」。この言葉に偽りはない。

  1959年夏、宇都宮工高の左腕エースとしてチームを同大会の準優勝にまで導いた。その後、早大や社会人で野球を続けたあと、家業の日本料理店を継ぐも白球への情熱は絶ちがたく、縁もゆかりもない新潟に飛んだ。

 かつては信越地区で覇を競うと長野勢が強く、甲子園など夢のまた夢。そんな弱小チームをコツコツと鍛え上げて今では県屈指の強豪校に育て上げた。

 中でも強烈な記憶に残っているのは2009年、中京大中京との決勝戦だ。4-10の劣勢で迎えた9回二死から連打、連打で怒涛の反撃。中京のエース・堂林翔太(現広島)をマウンドから引きずり下ろして、ついに1点差。最後の打球は三塁ライナーで終わったが、日本中が一喜一憂する名勝負だった。


志半ばの退任


 大井が勇退なら、熊本・秀岳館を指揮してきた鍛治舎巧の退任は複雑だ。

 春夏春と3季連続ベスト4の実績を残して甲子園入り。優勝候補の一角らしく初戦で横浜高との横綱対決を制したものの、広陵高に屈して野望はついえた。

 県岐阜商から早大、社会人の松下電器(現パナソニック)とアマチュア球界のエリートコースをひた走り、高校野球の解説としても人気に。会社では専務取締役まで登り詰めた。

 そんな鍛治舎の捨てきれない夢は、甲子園のグラウンドに指導者として立つこと。すべてをなげうって鍛治舎の新生活が始まったのは2014年春のことだった。

 「3年で日本一になる」と同校理事長の中川静也と約束した通り県内無敵の強豪になったものの、鍛治舎の周囲には常に批判が渦巻いた。その最大の理由は大阪の中学硬式野球チームである「枚方ボーイズ」からの選手の大量流入だ。

 自らがパナソニック時代から手塩にかけて来た球児とは言え、先発メンバーに熊本出身者が一人もいないとなると県民を中心に見る目は冷たい。この夏の予選中には突発性不整脈により、一時戦列を離れることもあった。

 そして、本大会直前には自ら会見を開いて今夏限りの退任を発表。当初の計画は5年間かけての王国建設だった。

 「喧嘩別れではないんですよ。でもちゃんと契約書は作っておくべきでした」。甲子園を離れる際、鍛治舎はこんな言葉を残したとされる。


歴代最多勝も飽くなき勝利への欲求


 そしてこの日、もう一人の名将が地団駄を踏んで悔しがった。

 甲子園春夏通算64勝という歴代最多勝記録を持つ智弁和歌山高の高嶋仁。白髪頭を丸刈りにした71歳の猛将だ。

 絶対王者の呼び声高かった大阪桐蔭を相手に12安打の猛攻も、決定打を奪えず惜敗。それでも前者二人と違い、この人に撤退の意思はない。

 「しっぽを掴みかけたけれど逃げられた」「監督?辞められんでしょう。桐蔭を叩かんと智弁の名が廃る」と、またまだ甲子園の頂点を目指す思いが溢れている。

 心おきなく勇退の道を選んだ大井。道半ばで退任の決断を迫られた鍛治舎。そして常に白星を追い求めてユニフォームを着続ける高嶋。球児たちとは一味も二味も違う甲子園のドラマがそこにある。


文=荒川和夫(あらかわ・かずお)



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