98年春の選抜決勝で松坂と投げ合う
1998年の甲子園と聞いて思い出すのが、夏の大会での横浜高校の壮絶な優勝劇。言わずと知れた松坂大輔擁する横浜高校が、高校野球史上最高といっても過言ではない数々のドラマを生み出した大会である。この年、春の選抜大会も横浜高校が優勝しており、当時史上5校目の春夏連覇も話題となった。(その後、10年に興南、12年に大阪桐蔭が達成)
夏の大会のインパクトの大きさゆえに、その年の選抜大会は横浜優勝という結果のみが取り上げられることが多いのだが、松坂の甲子園初優勝の時に決勝戦で投げ合ったのが、現在横浜DeNAに所属する関大一の久保康友だ。結果は、松坂に4安打完封され、0-3での敗戦となったが、先発した久保は13安打を浴びるも、6回までは最少1失点におさえるなど好投をみせ、9回を投げ切った。
関大一はその年の夏にもPL学園とともに大阪代表として甲子園に出場しており、(記念大会のため、大阪代表が南北2校)、準々決勝では、その日の第一試合で行われた延長17回3時間37分に及ぶ横浜vsPL学園のあとの第二試合でこれまた準決勝で横浜と死闘を繰り広げることになる明徳義塾に2-11で敗れる。
こうして見てみると、久保はこの年の主役たちとかなり近い所に登場しているのだが、ほかの試合の内容の濃さのため注目度としてはやや低めだったと言えるだろう。しかし、「松坂世代」とまとめて呼ばれることの多いこの世代の選手のなかで、甲子園の決勝で松坂と投げ合った投手は京都成章の古岡と久保だけだ。
社会人で苦労したがプロ入り
久保は高校卒業後、松下電器で野球を続けるが、ケガもあり最初はなかなか活躍できず、社会人5年目となる03年にようやく主力として活躍、04年ドラフト自由獲得枠でロッテに入団する。05年には新人王獲得、06年には開幕投手と、社会人野球の最初に苦労したぶん、プロでは順調なスタートを切った。
しかし、08年になると開幕から打ち込まれ、中継ぎ転向などを経て成績も安定せず、二軍降格も味わった。翌年トレードで阪神へ移籍。阪神でも12年まではシーズンを通して先発投手として登板を重ねていたが、13年、藤川球児のメジャー移籍に伴い、抑えに転向、シーズン後半はセットアッパーとしての起用となった。
そんな中、オフに国内FA権を行使して横浜DeNAへ移籍、先発投手へ再転向となる。移籍1年目の14年は先発ローテーション入りし、自身4年ぶりとなる二ケタ12勝をあげるなど活躍。昨シーズンも先発として開幕投手も務めたが、防御率は4点台。なんとか8勝をあげるも、横浜投手陣崩壊の一翼を担う形となってしまった。
ラミレス新監督が就任し、チームとしても横浜スタジアムのTOBを成立させ、心機一転スタートを切る今年、ここ数年再び定位置となりつつある5位6位のポジションから抜け出すためには、先発投手陣が昨シーズンの二の舞となることだけは許されない。
抑えでは山崎康晃という新たなスターが誕生したこの時期だからこそ、先発投手の結果がそのままチームの成績としてあらわれることになり、逆を言えば、先発投手のでき次第でチームに勢いを付けられるはずだ。
オフに先発投手の補強を行ってはいるが、久保のように昨シーズンの悔しさを知っている選手が活躍することがチーム再生には欠かせない要素となるだろう。15のオリックスとのオープン戦では、久保は7回無失点好投と順調な仕上がりを見せている。今シーズンは、松坂世代の苦労人が、本家松坂を超える注目をあびる瞬間が見られるかもしれない。