“最後の一枠”を掴んだ男
2016年の開幕ローテ、最後の一枠に滑り込んだのは砂田毅樹だった。
開幕投手に指名されていた山口俊の故障などによって、最後まで空白になっていた6番手の枠。初登板の前日、記者に囲まれた砂田は言った。
「急きょではあったけど、空いた枠に入れたのはうれしい。いつでもいける準備はしていました。持ち味を出して初球からストライクをとり、自分の流れにもっていきたいと思います」
やや緊張した面持ちながら、言葉の端々からは内に秘めた闘志が伝わってくる。思えば2月、宜野湾キャンプで話を聞いた時もそうだった。その時のインタビューでは、札幌で野球を始めた頃からドラフト、そして現在に至るまでの足跡を振り返ってもらった。
認められるのを待つのではなく、自らの力で認めさせる――。
砂田の語るストーリーは、そうやって能動的に野球人としての道を切り拓いてきたという自負に満ちていた。日本ハムのジュニアチームにも選ばれた幼少時の自分を、「その頃から本格的な左ピッチャーとして北海道では名前が通っていたほうだと思います」と客観的に分析する。
そして中学時代の札幌南シニアを経て、秋田県の明桜高校へ進学。もともと道外に出たいと考えていたからだが、その理由が明快だ。
「(本州と海を隔てた)北海道にいても目立たないかなという思いがあって……。北海道は土地が広くて高校が分散しているので、自分の行った学校が甲子園に行ける確率もすごく低い。野球を始めた頃からプロはずっと意識していましたし、他の職業に就こうと思ったこともありません。プロに行くためには名前を売らなきゃと思っていたので、秋田を選びました」
明桜高校への進学は、プロ野球選手というゴールへ向かって自ら踏み出した一歩だった。そして砂田は、いつからか“東北のナンバーワン左腕”と呼ばれるようになり、「名前を売る」という目論みは成功する。
しかし、名前を全国に売るはずだった甲子園には手が届かなかった。
最後の夏は、県大会の準々決勝で惜敗。砂田はこの一戦を「高校時代で最も心に残っている試合」だというが、それは悔しさゆえではない。
「エラー絡みで失点して、こちらも3安打しか出なかったので負けて当然だったかなとは思います。でも、この試合ほど自分の思った通りに投げれた試合はないんです。自分のピッチングスタイルが確立した。そう感じられるような投球ができました」
きっかけは中盤の失点だった。不思議と力みが消え、球速も落ちたが、結果として7回以降は誰ひとり出塁を許さなかった。
「ただ力んで思いっきり投げればいいというわけでもなく、どれだけリラックスしてキレのあるボールを投げられるかが大事なんだって。それが分かった試合でしたね」
砂田は迷わずプロ志望届を提出した。
常に上を目指し、前だけを見据えて...
ドラフトでは名前を読み上げられたが、育成選手としての指名だった。しかし、指名を受けたこと自体が最終的な目標へ到達するための確かな前進だと、砂田は受け止めていた。
「育成かあ、という思いはありませんでした。親にも相談せず記者会見して、『プロに行きます』と言いました」
ぐいぐいと目標へ突き進む一方で、砂田はあくまで冷静だ。1年目は“分析”に重きを置き、「プロの打者とはどういうものか。どのボールが通用してどのボールが通用しないか。そういうところを自分なりに考えていこう」と割り切った。
そして2年目は二軍で試合のつくり方、結果の出し方を覚えつつ、一軍を見据えて動き出す。
「一軍に1試合だけ呼ばれてダメで帰ってくるというのではなく、しっかり定着するためには何が必要かを考えました。一軍の試合を見て、ファームとの投球術の違いとか、変化球の割合とか、そういうことを勉強していきました」
チャンスはさっそく訪れる。二軍で結果を出し始めた6月、支配下登録され、初先発した日本ハム戦で好投。7月8日の広島戦で初勝利を挙げると、ローテーションの一角を担うようになったのだ。しかし、念願が叶ったはずの昨季を振り返る砂田の表情に緩みはない。
「支配下登録はもちろんうれしかったんですけど、実は『そろそろ来るだろう』とも思ってました。それよりも、自分のピッチングを振り返って(3勝5敗、防御率3.20)、まだまだチームのためになってないんじゃないかなっていう思いの方が強いですね。もっと長いイニングを投げて、防御率も低くしていかないと」
そんな向上心の塊のような男が、一度だけ表情を崩した瞬間がある。
「今年から背番号47って言われた時は、さすがの自分も驚きました(笑)。期待には応えなきゃいけないけど、無理しすぎて自分を見失うのもよくないと思う。結果を出していって、自然と認められるようになりたいです」
そう誓って始まった新たな背番号47のシーズンは、巨人打線を相手に6回途中2失点。勝ちも負けもつかない82球のマウンドだった。
「もう一度チャンスをもらえるなら今回よりいい投球がしたい」
試合後、砂田はそう語ったという。目標を見定め、チャンスを掴み続けてきた男のシンデレラストーリーは、まだ始まったばかりだ。