日本ハムの若き救世主は背番号63「うわさわ」です!
一昨年の日本一から一転、昨年はまさかの最下位に沈んだ日本ハム。今年は栗山英樹監督体制の3年目。爆発的な力は見せられずにいるものの、上位に食い込みチャンスをうかがっている。
そんなチームの稼ぎ頭となっているのが、3年目、20歳の上沢直之だ。「うえさわ」でも「かみさわ」でもなく、「うわさわ」と読む。身長187センチ体重88キロ、右投げ右打ち。千葉県松戸市出身で、専大松戸高校からプロ入りしたオーバースロー。重たい背番号63という数字からわかるように(?)ドラフト6位での入団である。
6勝目となった6月8日の中日戦は、7回を1安打に抑える好投。千葉県出身の偉大な先輩である小笠原道大との対戦は、内角ストレートでセカンドゴロに打ち取ってみせた。唯一の安打を放った和田一浩は「表示は140キロぐらいだけど、体感は150キロぐらい。コントロールも良かった」とコメント。谷繁元信兼任監督は「イメージより変化球がストライクに入っていた」と分析した後、「うち(のバッター)が打ち返すことができなかった」と素直に脱帽した。
野球歴9年目のプロ選手 いまだ伸び盛りの20歳!
高校卒3年目で、この活躍。どんな野球人生を送ってきたのかというと、野球を始めたのは、松戸市立第一中学校(千葉)の軟式野球部に入部してから。わずか、8年前というから驚きだ。
中学軟式野球が盛んな千葉県で、松戸市は特にレベルが高い市の一つ。上沢が2年夏の2007年は、松戸市立常盤平中学校が関東大会を勝ち抜き、全国中学校軟式野球大会(全中)に出場してベスト8。同大会には、現在のチームメートである近藤健介が、2年生ながら名門・修徳学園中学校(東京)の1番・ショートとして出場していた。翌2008年は、近隣の船橋市立七林中学校が全中3位。優勝した星稜中学校(石川)のエースは西川健太郎(現・中日)。3位に入った北九州市立大谷中学校(福岡)のエース・三好匠(現・楽天)は、初戦でノーヒットノーランを記録した。
華やかな表舞台に立つことがなかった中学時代を経て、地元の専大松戸高校へ進学。ここで出会ったのが、高校野球の酸いも甘いも知る持丸修一監督である。生まれ育った茨城県で高校野球監督となり、竜ヶ崎第一高校、藤代高校、常総学院高校を率いて甲子園出場を果たしている名将。まだ原石ともいえる状態だった上沢に、ピッチングフォームの細部からエースの心構えなど、心技体すべてにおいて根気よく指導し続けたという。
甲子園には届かなかったが、2年夏の県大会、秋の県大会ベスト4。3年春の県大会では準優勝して関東大会へと駒を進めた。その頃には「千葉ナンバーワン投手」と評価され、森和樹(市立柏→巨人育成)と共に注目を集めていた。3年春終了時点での球種は、140キロ前後のストレート、タテの緩いカーブ、カットボール、スライダー、チェンジアップなど。「流しのブルペンキャッチャー」として知られるスポーツライター・安倍昌彦氏は、しなやかな腕の振り、スムーズな体重移動で、「縦横・緩急がつけられる」と絶賛していた。
2011年秋のドラフト6位で日本ハムに入団。1~2年目は1軍登板なし。日本ハムのファーム本拠地は千葉県鎌ヶ谷市だから、慣れ親しんだ地で野球に打ち込めたことだろう。予想外に早く訪れた大ブレイクには、底知れぬ吸収力に加えて、地の利もあったかもしれない。
1学年下の大谷翔平へのライバル心を隠さず、「大谷より上にいたい」と言う潔さ。それでも、最長投球回は7回。被本塁打が多いことも指摘されている。プロとしては成長途上であり、まだ伸び盛りの20歳。野球歴は中学3年、高校3年、プロ3年目の9年目。これから、どんなピッチャーへと進化していくのか。心技体の成長のスピードを、リアルタイムで見守っていきたい。
文・平田美穂(ひらた・みほ)