世界一から10年が経ち
メジャーリーグのホワイトソックスは29日、トニー・ラルーサ氏の監督就任を発表した。
2011年シーズン終了後、ワールドシリーズ制覇を置き土産にカージナルスの監督を勇退した76歳の同氏は、来季10年ぶりに現場で指揮を執ることになる。このニュースは現地でも驚きを持って報じられた。そして10年ぶりの監督復帰を懐疑的に見る向きも目立っている。
ラルーサ氏が現場を離れた当時と比べると、野球の質は大きく変化。ここ数年は若い監督の就任も目立っていた。そんななか、76歳で現代の野球に適応できるかが最大の関心事となっている。しかし、そんな懸念は杞憂に終わるのではないかとも思っている。
筆者は1995年から2000年までの約5年間を、米中西部のセントルイスで過ごした経験がある。95年に62勝81敗に終わったカージナルスの再建を託され、96年から監督を務めたのがラルーサ氏だった。
監督として、ホワイトソックスとアスレチックスで実績を残し、すでに“名将”と呼ばれていたラルーサ氏。就任1年目でチームを立て直し、いきなり地区優勝に導いた。24年前、セントルイスの街が歓喜に沸いたのはいい思い出だ。
「2番打者最強説」の走り!?
最も印象に残っているのは、1997年途中にマーク・マグワイアを古巣アスレチックスからトレードで獲得したときのこと。マグワイアを3番に据え、ブライアン・ジョーダンとレイ・ランクフォードという三拍子揃った2人の打者を前後(2番と4番)に置くことが多かった。
当時のメジャーは、小技もできる選手を2番打者に据えるチームが多い時代。ラルーサ監督は、マグワイアを初回に必ず打席が回る3番に置き、その前後を強打者でプロテクトした。結果的に「2番打者最強説」のキッカケをつくったのは、この時ではないかと考えている。
また、ラルーサ監督は投手陣のやり繰りもうまかった。1990年代後半のカージナルスは、打線に比べると投手陣は決してストロングポイントとは言えなかった。しかしラルーサ監督は、救援陣に左右の投手をバランスよく揃え、大事な場面では左打者に左投手を徹底的にぶつけるなど、マッチアップにこだわる戦略も徹底していた。
2000年代に入ると、エンゼルスからジム・エドモンズを獲得。そして、アルバート・プホルスの台頭も手伝って、2006年と11年にチームを世界一に導き、黄金時代を築いた。
指揮官時代は常に試行錯誤を繰り返し、時代を先取りしてきたラルーサ監督。来季、初めて監督を務めた思い出の地に35年ぶりに戻ってくる。監督としての10年のブランクを乗り越え、大仕事をやってくれるのではないか――。そんな期待を抱かせる名将の采配に注目したい。
文=八木遊(やぎ・ゆう)