2011年ドラフト3位で横浜に入団した渡辺雄貴。関西高時代に春夏甲子園出場を果たし、高卒後にプロ入りし、将来を期待されていたが、プロ入り5年目を迎え、いまだに一軍公式戦に出場を果たしていない。
まさに崖っぷちだ。渡辺にとって思い出したくない過去がある。プロ入りしてすぐの2012年。公式戦終了後に若手の登竜門フェニックスリーグに参加していた際、球団から禁止されていたベンチ裏での喫煙行為が発覚した。当時の中畑監督が「運動能力が低下する」との理由で喫煙禁止を唱えていたが、それを破った渡辺は横浜に強制送還されたという、苦い経験になった。
挽回とばかりに、渡辺はそれ以降必死に汗を流した。誰よりもバットを振り、野球に打ち込んだ。だが、結局中畑政権の下では声がかからず、二軍に定着する形となった。中畑監督の力になれず終わった。情けなさ、悔しさもあったのだろう。渡辺は今季に懸けた。
オフには梶谷と共に広島市内のスポーツジム・アスリートに通いパワーアップに着手した。このジムは、阪神金本監督、広島の新井らが通ったトレーニング施設でもあり、渡辺はそれにあやかり筋肉強化を図った。
渡辺は、さらにバットを振った。昨年の秋季キャンプでは、ラミレス監督から直接指導を受け、打撃が大きく改善した。その素質に目を付けた指揮官からも「高評価」と太鼓判を押され、今年2月の宜野湾キャンプでは自身初となる、待望の一軍スタートとなった。宜野湾では必死にアピールを続けた。
打撃投手には直球・変化球をミックスして投げてもらい、苦手としていた変化球に対するバッティングを見つめ直した。「今までと打撃が変わったところは、カウントの状況で、より考えて打席に入るようになりました。そのためにも変化球への対応にも力を入れたんです」。
宜野湾キャンプでは持ち前の身体能力を生かし、必死にアピールを続けた。だが、一軍の高い壁。開幕一軍は勝ち取ることはできなかった。それでも渡辺は前を向く。「いい経験をさせていただきました。自分に足りないものが分かりましたし、もう1回出直しです」と気を引き締めた。長いシーズン、いつか呼ばれる日が来ることを信じて、渡辺はバットを振り続ける。
まさに崖っぷちだ。渡辺にとって思い出したくない過去がある。プロ入りしてすぐの2012年。公式戦終了後に若手の登竜門フェニックスリーグに参加していた際、球団から禁止されていたベンチ裏での喫煙行為が発覚した。当時の中畑監督が「運動能力が低下する」との理由で喫煙禁止を唱えていたが、それを破った渡辺は横浜に強制送還されたという、苦い経験になった。
挽回とばかりに、渡辺はそれ以降必死に汗を流した。誰よりもバットを振り、野球に打ち込んだ。だが、結局中畑政権の下では声がかからず、二軍に定着する形となった。中畑監督の力になれず終わった。情けなさ、悔しさもあったのだろう。渡辺は今季に懸けた。
オフには梶谷と共に広島市内のスポーツジム・アスリートに通いパワーアップに着手した。このジムは、阪神金本監督、広島の新井らが通ったトレーニング施設でもあり、渡辺はそれにあやかり筋肉強化を図った。
渡辺は、さらにバットを振った。昨年の秋季キャンプでは、ラミレス監督から直接指導を受け、打撃が大きく改善した。その素質に目を付けた指揮官からも「高評価」と太鼓判を押され、今年2月の宜野湾キャンプでは自身初となる、待望の一軍スタートとなった。宜野湾では必死にアピールを続けた。
打撃投手には直球・変化球をミックスして投げてもらい、苦手としていた変化球に対するバッティングを見つめ直した。「今までと打撃が変わったところは、カウントの状況で、より考えて打席に入るようになりました。そのためにも変化球への対応にも力を入れたんです」。
宜野湾キャンプでは持ち前の身体能力を生かし、必死にアピールを続けた。だが、一軍の高い壁。開幕一軍は勝ち取ることはできなかった。それでも渡辺は前を向く。「いい経験をさせていただきました。自分に足りないものが分かりましたし、もう1回出直しです」と気を引き締めた。長いシーズン、いつか呼ばれる日が来ることを信じて、渡辺はバットを振り続ける。