西武をけん引する19歳・森友哉のバットがまたしても火を噴いた。
20日のロッテ戦で、6回にレフト線へ技ありの2点適時二塁打を放てば、8回の第4打席ではセンターへバックスクリーンへ飛び込む豪快な第9号の一発。チームは敗れたものの、4打数2安打3打点の活躍を見せた。
これにより、本塁打はチームトップの中村剛也に1差に迫り、2年目にして自身初となる2ケタ本塁打へリーチをかけた森。いともかんたんにリーチをかけたが、ドラフト制度導入以降で、高卒2年目までに2ケタ本塁打を記録した選手というのは過去に4人しかいない。
最初の達成者は、“ミスター・タイガース”掛布雅之。市立習志野高から73年のドラフト6位で阪神へと入団した掛布は、1年目から83試合に出場し、3本塁打を記録すると、2年目の75年には106試合に出場して11本塁打を記録。
その後は16年間のキャリアで3度の本塁打王を獲得し、積み上げた本塁打は通算で349本。阪神のレジェンドとして崇められ、現在は解説者として活動するかたわら、球団の「GM付育成&打撃コーディネーター」として後進の育成に尽力している。
その後はなかなか達成者が現れなかったが、伝説のスラッガー2人の登場により、新たな歴史が作られる。
一人目は、清原和博。かの有名な“涙の西武入団”を経て、86年にデビューすると、ルーキーイヤーから126試合に出場し、31本塁打を記録。2年目どころか1年目にして2ケタの壁を破ってみせた。その年、打率も.304でいきなりリーグ8位にランクインするなど、球界に大きすぎる衝撃を与えた。
そして、93年には“ゴジラ”が清原に並ぶ偉業を打ち立てる。星稜高から92年のドラフト1位で巨人へと入団した松井秀喜は、1年目で57試合の出場ながら11本の本塁打を記録。高卒新人として史上2人目の快挙を果たすと、2年目にはレギュラーとして20本塁打。着実に球界を代表するスラッガーとしてのステップを踏んで行った。
しかし、松井以降は高卒若手野手の苦戦が続き、長きに渡って語られることがなかったこの記録。20年の時を経て掘り起こしたのは、“二刀流”という前代未聞の戦いに挑む男だった。
昨年、大谷翔平はローテーションを守りながらの野手出場という挑戦を敢行。87試合の出場で、10本塁打を達成した。投げても勝ち頭として11勝をマークし、“野球の神様”ことベーブ・ルース以来の『10勝&10本塁打』という伝説まで残した。
ここまで42試合の出場で9本の本塁打を放った森友哉。このあと約100試合を残し、もはや達成は時間の問題だ。19歳にして打線を引っ張る怪物スラッガーが、伝説の強打者たちと肩を並べる日――。我々はまもなく、歴史の目撃者となる。
清原和博(西武)=1年目(1986)/ 31本
松井秀喜(巨人)=1年目(1993)/ 11本
掛布雅之(阪神)=2年目(1975)/ 11本
大谷翔平(日本ハム)=2年目(2014)/ 10本
20日のロッテ戦で、6回にレフト線へ技ありの2点適時二塁打を放てば、8回の第4打席ではセンターへバックスクリーンへ飛び込む豪快な第9号の一発。チームは敗れたものの、4打数2安打3打点の活躍を見せた。
これにより、本塁打はチームトップの中村剛也に1差に迫り、2年目にして自身初となる2ケタ本塁打へリーチをかけた森。いともかんたんにリーチをかけたが、ドラフト制度導入以降で、高卒2年目までに2ケタ本塁打を記録した選手というのは過去に4人しかいない。
最初の達成者は、“ミスター・タイガース”掛布雅之。市立習志野高から73年のドラフト6位で阪神へと入団した掛布は、1年目から83試合に出場し、3本塁打を記録すると、2年目の75年には106試合に出場して11本塁打を記録。
その後は16年間のキャリアで3度の本塁打王を獲得し、積み上げた本塁打は通算で349本。阪神のレジェンドとして崇められ、現在は解説者として活動するかたわら、球団の「GM付育成&打撃コーディネーター」として後進の育成に尽力している。
その後はなかなか達成者が現れなかったが、伝説のスラッガー2人の登場により、新たな歴史が作られる。
一人目は、清原和博。かの有名な“涙の西武入団”を経て、86年にデビューすると、ルーキーイヤーから126試合に出場し、31本塁打を記録。2年目どころか1年目にして2ケタの壁を破ってみせた。その年、打率も.304でいきなりリーグ8位にランクインするなど、球界に大きすぎる衝撃を与えた。
そして、93年には“ゴジラ”が清原に並ぶ偉業を打ち立てる。星稜高から92年のドラフト1位で巨人へと入団した松井秀喜は、1年目で57試合の出場ながら11本の本塁打を記録。高卒新人として史上2人目の快挙を果たすと、2年目にはレギュラーとして20本塁打。着実に球界を代表するスラッガーとしてのステップを踏んで行った。
しかし、松井以降は高卒若手野手の苦戦が続き、長きに渡って語られることがなかったこの記録。20年の時を経て掘り起こしたのは、“二刀流”という前代未聞の戦いに挑む男だった。
昨年、大谷翔平はローテーションを守りながらの野手出場という挑戦を敢行。87試合の出場で、10本塁打を達成した。投げても勝ち頭として11勝をマークし、“野球の神様”ことベーブ・ルース以来の『10勝&10本塁打』という伝説まで残した。
ここまで42試合の出場で9本の本塁打を放った森友哉。このあと約100試合を残し、もはや達成は時間の問題だ。19歳にして打線を引っ張る怪物スラッガーが、伝説の強打者たちと肩を並べる日――。我々はまもなく、歴史の目撃者となる。
過去の高卒2年目までの主な2ケタ本塁打達成者
(※ドラフト制度導入以降)清原和博(西武)=1年目(1986)/ 31本
松井秀喜(巨人)=1年目(1993)/ 11本
掛布雅之(阪神)=2年目(1975)/ 11本
大谷翔平(日本ハム)=2年目(2014)/ 10本