目にしない日はないその名前
メジャー24年のキャリアで、積み上げた安打は「4256」本。前人未到の記録を打ち立てた男の名はピート・ローズ。いま日本でその名前を聞かない/目にしない日はないというほど、この人への注目が高まっている。
ピート・ローズという偉大な選手にスポットを当てたのが、日本が誇る稀代の安打製造機・イチローだ。日米通算ではあるものの、これまでのキャリアで積み上げてきた安打は「4255」。ローズの持つ最多記録に王手をかけた。
記録を巡ってはアメリカでも論争となっており、あくまで“参考”としての見方が依然として多いものの、絶対に更新が不可能だと思われていたローズの記録に王手をかけるに至った功績を認め、賞賛する声も多く挙がっている。
イチローの挑戦によって注目を浴びるピート・ローズとは、一体どんな選手だったのか。注目度が高まっている今こそ、“世界の安打王”の球暦を振り返ってみよう。
「ビッグレッドマシン」の象徴的存在
1941年、オハイオ州シンシナティに生まれたローズ。60年に地元シンシナティに本拠地を置くレッズに入団し、63年にメジャーデビューを果たした。
当時22歳のローズは、主力選手の故障もあって1年目から157試合に出場。いきなり170安打を記録し、打率は.270。6本塁打、41打点でナ・リーグの新人王を獲得する。
3年目の65年には初の200安打超えとなる209安打を記録し、打率も.312とキャリアハイの数字をマーク。そこから9年連続で打率3割以上を残し、68年と69年には2年連続で首位打者のタイトルを獲得。名実ともにチームの顔へと成長していく。
70年代に入ると、黄金期を迎えたチームの象徴「ビッグレッドマシン」の切り込み隊長として4度のリーグ優勝と2度のワールドチャンピオンに貢献。個人としても73年に自身3度目となる首位打者に輝き、ナ・リーグMVPも受賞。75年にはワールドシリーズMVPに輝いた。
偉業達成と“黒い”一面
その後、1978年に37歳と21日という当時史上3番目のスピードで通算3000本安打を達成。その年限りで16年間在籍した地元のレッズを離れると、翌79年にフィリーズへと移り、84年にはエクスポズへ移籍。そこで史上2人目となる通算4000本安打を達成した。
そして、84年の途中から古巣のレッズへと復帰。85年からは選手兼任監督に就任すると、迎えた9月11日のパドレス戦で通算4192安打を達成。“球聖”ことタイ・カッブが持っていたメジャー最多安打記録を更新してみせた。
最終的には4256本までその記録を伸ばし、86年のシーズンを持って現役を引退。以降は監督業に専念する。
ところが89年に、思わぬ事件が起こる。監督として「野球賭博」問題に関わっていたことが発覚し、メジャーから“永久追放”の処分を受けてしまうのだ。
監督時代の過ちであるため、選手時代に残した偉業に関してはケチはつかないものの、ファンから愛されていたローズの“裏切り”ともとれる行為は人々を落胆させた。
なお、今もメジャーリーグへの関与は認められていないものの、昨年シンシナティで行われたオールスターゲームのセレモニーには“特例”として参加が許され、今年にはレッズの球団殿堂に入ることが決定。背番号「14」が永久欠番となるなど、徐々に公の場に出てくることも増えている。
良くも悪くも、“記録にも記憶にも残る選手”だったローズ。今回のイチローの挑戦に関しては「そのうち高校時代の安打数も数えだすんじゃないか」など“異論”を唱えたことが大きく伝えられているが、「彼にケチをつけようというんじゃない。彼はすでに殿堂入りにふさわしい実績を残している」とも語っており、そのすごさは認めている旨を示している。
あとはイチローが自身の記録に並び、越えていった時にどんなコメントを残すのだろうか…。イチローはもちろんのこと、日米で注目を集めるピート・ローズからも目が離せない。
【メジャー通算安打数トップ5】
1位 4256本 ピート・ローズ(1963~1986年)
※ 4255本 イチロー(1992~2016年)=日米通算
2位 4191本 タイ・カッブ(1905~1928年)
3位 3771本 ハンク・アーロン(1954~1976年)
4位 3630本 スタン・ミュージアル(1941~1963年)
5位 3515本 トリス・スピーカー(1907~1928年)