強すぎる若鷹軍団
ソフトバンクの勢いが止まらない。
投手では開幕投手を務めた摂津正や、ポストシーズンで大活躍を見せた大隣憲司といったところを欠いた中、昨年の勝ち頭・武田翔太や日本復帰した和田毅らが白星を重ね、東浜巨、千賀滉大という昨年はなかった新たな力が台頭してきた。
打線の方でも、チームを日本一連覇に導いた柳田、内川、松田の主軸は今年も健在。さらに打撃好調な今宮に、ブレイク中の城所龍磨が躍動。メジャー挑戦によりチームを去った李大浩の穴を感じさせない安定ぶりである。
最も「優勝の味」を知る男
2014年、2015年と立て続けにリーグ制覇を成し遂げ、日本シリーズも連覇した若鷹軍団。現在主力として活躍している選手の多くは優勝の「味」を知っている。
しかし、そんな常勝チームにおいて、「優勝」という二文字に最も縁のある男といえば…。それは監督・工藤公康であろう。
選手時代は西武にはじまりダイエー(現ソフトバンク)、巨人、横浜(現DeNA)という4球団を渡り歩き、通算で14度の優勝、11度の日本一を経験。「優勝請負人」と呼ばれた。
29年間というNPB歴代最長記録の実働年数。同じくこの記録を持ちながら、中日一筋で積み上げた山本昌とは対照的で、工藤はチームを渡り歩き、その行く先々で優勝を経験してきた。
各地に栄光をもたらした左腕
黄金期の西武で優勝を「支える」立場であった男は、1995年にダイエーへと移籍。当時ダイエーは17年連続Bクラスと低迷していた中、王貞治を監督に迎え、優勝の味を知る工藤の獲得とともに再建を図った。
低迷するチームの中で、今度は優勝に「導く」立場としての役割を与えられた左腕。移籍1年目は12勝5敗というさすがの活躍を見せるも、チームは5位。2年目には、8勝15敗とリーグ最多敗北数を喫する苦しい個人成績で、チームも最下位に沈む。
しかし、3年目に11勝(6敗)を挙げて復活すると、4年目には自身は故障の影響もあって7勝に留まるも、チームはAクラス入り。そして迎えた移籍5年目、チームは悲願のリーグ制覇。工藤も最多奪三振と最優秀防御率のタイトルを獲得する活躍で、文字通りチームを栄光へと「導いた」。
そしてダイエーで優勝を成し遂げるとすぐに巨人へ移籍。このときの巨人は優勝から3年間遠ざかっていた。
「勝って当たり前」と言われるチーム。後がない状況において、伝統の球団に移籍すると、その年に12勝5敗でリーグ最高勝率をマーク。V奪回の立役者となった。
これからも、「優勝請負人」として...
通算29年のキャリアで、積み上げた白星は224個に登る。
しかし、その間に最優秀防御率は4回、最高勝率3回、最多奪三振も2回獲得したが、最多勝のタイトルには1度も手が届かなかった。
それでも、男は数々の栄光を手にし、何度も勝利の美酒に酔った。チームのために力を尽くし、誰よりもチームのタイトルのそばにいた野球人だったのではないだろうか。
ユニフォームを脱いだ後、監督としても順調なキャリアを歩んでいる工藤公康。“優勝請負人”としての野球道はまだまだつづく。