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半年前は“崖っぷちの育成捕手” 阪神・原口が駆け上がったスターダム

7年目の苦労人が救世主


 眠れる虎が息を吹き返した。

 オールスター明けに5連敗を喫し、一時は最下位に沈んだ阪神。本拠地・甲子園で負けが込み、スタンドからは「やけくそ蛍の光」が聞こえてくるなど、そのムードは最悪だった。

 ところが、7月24日の広島戦で連敗を止めると、苦戦が続いた甲子園での6連戦で5勝1敗と大きく勝ち越し。再び4位に浮上するなど、勢いを取り戻す。

 その立役者となっているのが、7年目の捕手・原口文仁。後半戦が始まった直後はベンチに控えることが多かったものの、24日にスタメン復帰を果たすと、逆転打を含む3安打、1本塁打、3打点の大暴れ。連敗ストップに大きく貢献してみせた。

 オールスター後、原口がスタメンマスクを被った日は6勝負けなし。まさに“勝利の使者”となっているのだ。


半年前は“崖っぷちの育成捕手”


 2009年のドラフト6位で阪神に入団してきた原口。帝京高時代は強打の捕手として甲子園にも出場した。

 城島健司や藤井彰人といったベテラン捕手の後釜として期待されるも、2012年に発症した腰のケガが男を苦しめる。

 思うような結果が残せないまま、2012年のオフには自由契約。その後、育成選手として再契約を結ぶ。翌2013年から2015年にかけては、3年連続で自由契約→育成再契約を繰り返すという経験も味わった。

 そんな中、阪神は2015年のドラフトで坂本誠志郎を指名。侍ジャパン大学代表などで活躍した実績を持つ大卒捕手を獲得し、いよいよ原口は崖っぷちに追い込まれてしまう。

 しかし、ここで転機が訪れる。金本知憲新監督による、“超変革”である。

 キャンプで必死でしがみつき、首脳陣へアピールすると、2月の終わりには一軍昇格のチャンスが巡ってくる。その後のオープン戦にも帯同し、最終的には開幕を前に二軍に降格となるものの、後の支配下復帰へと繋げた。


ユニフォームないまま出場


 残念ながら開幕一軍、開幕支配下は逃したものの、4月27日に支配下登録へ復帰。実に4年ぶりとなる2ケタの背番号「94」をゲットする。

 すると、その日のうちに一軍に昇格し、代打から途中出場。2打席目にはプロ初安打を放った。
 
 なお、一日のうちに支配下から一軍昇格、そして試合出場というあまりにも急過ぎた昇格であったため、着用するユニフォームの方が間に合わず。当日の試合では山田コーチのユニフォームを借り、「82」をつけてプレーした。
 

 その後は、ブレイク街道をまっしぐら。5月4日の中日戦でプロ初本塁打を放つと、5月は月間打率.380をマーク。5本塁打、17打点で月間MVPに輝いた。

 育成を経験した野手による月間MVP受賞は初めてのことであり、阪神の捕手としては田淵幸一以来となる41年ぶりの快挙。支配下復帰から1カ月で一気のその名前を全国へと轟かせた。


掴みとった夢の舞台


 彗星のごとく現れた虎の捕手は、「ノミネート外」にも関わらずオールスターのファン投票で17万4556票を獲得。最後の最後でヤクルト・中村悠平に逆転を許し、ファン投票での選出は逃したものの、原口の躍進は大きなインパクトを与えた。

 最終的には監督選抜という形で招集を受け、夢のオールスター戦に出場。育成を経験した捕手によるオールスター出場は、史上初の快挙であった。

 試合ではDeNA・山崎康晃とのコンビも実現し、帝京高時代のバッテリーが7年ぶりに復活したことも話題を呼んだ。


任された4番のポジション


 迎えた7月31日、育成選手たちにとっての“デッドライン”となる日。この日までに支配下契約を勝ち取れなければ、今シーズンの一軍昇格はない。

 そんな特別な日に、つい4カ月までは育成選手の一人であった原口が、一軍で「4番」の座に就いた。

 捕手として阪神の4番に座るのは、またも田淵幸一以来で38年ぶりのこと。このところ4番を務めていた福留孝介が外れたという事情はあるが、それも原口がこの半年間でそれだけの信頼を築き上げてきたからこそ。今季のチームにおける最大の“嬉しい誤算”だったと言っても過言ではないだろう。

 苦しい戦いを強いられながらも、クライマックスシリーズ圏内の3位までは5ゲーム差。まだまだ諦める差ではない。

 終盤一気の巻き返しへ、“超変革”阪神に原口あり――。7年目の苦労人が逆襲のカギを握る。
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