安堵と戸惑いと
24日に井口資仁の引退試合が行われる。ダイエーからMLBを経てロッテへと活躍の場を移した名内野手が、21年間に渡る現役生活を終える。
まだホークスの親会社がダイエーだった時代のこと。ロッテファンの僕にとって、井口は“敵”だった。走攻守で存在感を見せる“敵”は城島健司、松中信彦らと共によく打った。だからこそホワイトソックスに移籍した時は、日本で見られなくなる寂しさを感じるでも、アメリカでの活躍を願うでもなく、ただただ安堵したことを覚えている。
井口がNPBに復帰し、ロッテが獲得しようとしているらしい、というニュースを聞いた時は「えっ? 井口が来るの?」と驚いたことを覚えている。別に嫌だったわけではない。戦力としては大きなプラスになるし、井口と戦わないことだけでも、ペナントを戦う上では有利になるという思いはあった。
しかし、ミスターマリーンズ・初芝清が背負っていた背番号「6」を与えられること。高額な年俸にオプション契約や監督手形の発行といった報道。何よりも、かつては強大な“敵”だったという想い。今思えばつまらない意地のようなものだが、入団に対して戸惑いはあった。
思い出した野球の魅力
6番を背負った井口は、入団1年目から4番を任されて結果を残す。シーズン序盤の4月16日には“サヨナラ満塁本塁打”を放ち、ファンのハートを一気につかんだ。この日のことは、よく覚えている…のだが、実を言うと肝心の本塁打は観ていない。
試合は、点を取っては取られるの繰り返し。先制しては追いつかれ、勝ち越しても逆転を許し、試合終盤には3点差をつけられる劣勢。開幕早々に6連敗を喫していたこともあり、当時の僕は勝手に「負けた」と決めつけていた。
だから途中で球場を抜け出して、外でぼんやりと海を眺めていた。何度か歓声が上がり、そこからまた時間をおいて一際大きな声が聞こえてくる。球場に戻ると、ロッテファンは歓喜の詩を歌い、10回裏のスコアボードには「4×」と刻まれていた。
試合は西岡と里崎の本塁打で振り出しに戻り、最後は井口が決めた。最後まで何が起こるのかわからない。そんな野球の魅力を、井口はあらためて教えてくれた。そして、心の片隅にあった井口へのつまらない戸惑いも薄れていく。
2010年のCS&日本シリーズ
翌シーズンのロッテは、西岡や井口の活躍でシーズン序盤に首位となるが、中盤から順位を落として最終的には滑り込みで3位となった。クライマックスシリーズには進出できるが、早々に敗退するのではないか、という想いが湧いてくる。それでも応援せずにはいられない。なぜなら、最後まで何が起こるかわからないのだから。
ロッテは、里崎や今江、西岡、井口らの活躍でクライマックスシリーズを勝ち進み、日本シリーズへと駒を進めた。どの試合も逆転に次ぐ逆転。ロッテの快進撃は止まらない。最後には延長戦の末に中日を倒し、ロッテは日本一となる。やはり、最後まで何が起こるかはわからない。
井口は何よりも頼りになる存在だった。同点に追いつかれた直後の勝ち越し本塁打、「ここで打って欲しい」という場面での一打が本当に多かった。2010年の得点圏打率は.340。しかし数字だけでは表せない期待感と信頼があったように思う。
頼りになる男
まったくと言っていいほど打線が繋がらず、8連敗中だった今季の試合では、代打で「井口」の名が呼ばれると、途端に内野席から「井口さーん! 打ってください!」と、歓声でも応援でもなく、悲鳴のような声が挙がった。
すると他の観客も叫び出す。「井口ー! 頼むぞ!」。ロッテファンは井口に縋り続けた。こんな状況でも、井口なら救ってくれる。皆にそう思わせる“何か”が井口にはあった。
そんな井口も、今季限りでユニフォームを脱ぐ。引退試合は9月24日。井口の入団に戸惑いを覚えていたのも過去の話だ。今は、ただただ寂しく思う。
皆、どのように井口を送り出すのだろう。目を閉じると、「井口打て、井口打て、ララララーララララー」の応援歌が聞こえ、内野席のファンが「頼むぞ!」と声を掛ける、そして、その“期待”に井口が応える。そんな光景が自然と思い浮かんだ。
文=栗栖章(くりす・あきら)