「僕は荒川さんありき」
「12番目の男」──。
一本足打法で投手に挑む球界の絶滅危惧種が、竜の連敗を止めた。
8月17日の広島戦(バンテリン)。6連敗で臨んだ一戦に「2番・左翼」で先発出場したのが、プロ6年目の渡辺勝だ。
広島先発・森下暢仁から先制の適時打を放つと、8回にはケムナ誠から右翼席へ叩き込むプロ1号。
右翼席へすっ飛んだ白球を見つめながら、亡き恩師を思い出した。
「僕は荒川さんありきなので。いろいろなアドバイスを聞きながら、荒川さんの言葉と照らし合わせていました」
荒川さんとは、荒川博さんのこと。王貞治さんと“一本足打法”をつくりあげたことでも知られ、2016年12月に亡くなっている。
入団から試行錯誤を繰り返し、右往左往しながら、いつも荒川さんから言われていた言葉を思い出し、かみ砕き、フォームをつくりあげてきた。
出会いは中学3年、神宮外苑のバッティングセンター。横浜市内の自宅近くに住んでいた、元・セ・リーグ事務局長・渋沢良一さんが縁だった。
初対面でまず「振ってみな」と言われた。そこから週2~3度のレッスンが始まった。
東海大相模高、東海大で活躍。育成契約での入団会見から約1年後、恩師は亡くなった。葬儀では即席レッスンも受けた。何よりも努力が大事だと伝えられたメッセージは、胸に深く刻まれている。
「『遅えよ』って言われそう」
チームとして12番目に送り出された「2番打者」だった。
阿部寿樹で始まり、髙松渡に京田陽太、三ツ俣大樹、さらには球界最年長の福留孝介も務めたが、固定できなかった泣きどころ。
前半戦一軍出場のなかった渡辺は、昨年10月以来のスタメンとして「2番」で送り出され、そこでプロ初アーチをかけた。
業務用スーパーで週に1度、買い出しに行くのが育成出身らしい。推定年俸は680万円。妻と買い出しに行き、食材を選ぶ。
「マジで金がないっす」
お腹いっぱい食べさせてくれる妻には感謝してもしきれない。
19日の同カードでは2犠打を決めて、ヒットも放った。
渡辺の肩書には「王貞治さんを育てた故・荒川博さん最後の弟子」とはっきり書いてある。今後、タイミングを見て、東京都内にあるお墓にホームランボールを持っていくという。
「『遅えよ』って言われそうですね」
残された1本足打法の後継者。
「四球でもいいので、チームへ貢献したい」
ようやく動き出した野球人生。大きく足を上げた背番号31が、竜の救世主に名乗りを上げた。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)