今、球界は世代交代の真っ只中にある。
一時代の終わりと若い力の躍進。和田一浩や小笠原道大、谷佳知といった40歳以上の04年アテネ五輪代表選手の今季限りでの現役引退が報じられ、グラウンドでは20代の山田哲人と柳田悠岐のトリプルスリー、秋山翔吾の200本安打が話題になっている。連日それらのニュースを追いながら、あの選手のことを思い出した。
秋山幸二である。80年代中盤から00年代初頭にかけて西武ライオンズとダイエーホークスで活躍し、引退後はソフトバンクで監督も務めた、あの秋山だ。今シーズン球界で話題の記録を確認すると、この男の名前を度々見かける。
例えば、山田が挑戦するNPB初の本塁打王と盗塁王の同シーズン獲得ならば、過去に日本球界で本塁打王受賞経験選手の盗塁王獲得は秋山幸二のみだ。西武在籍時の87年には43本塁打・38盗塁と凄まじい数字を残した。再び脚光を浴びるトリプルスリーにしても、秋山は89年に打率.301・31本塁打・31盗塁で見事達成している。
当時の助っ人外国人選手たちが「メジャーに最も近い男」と称賛した背番号1。秋山幸二の残した成績はもはや伝説と言っても過言ではない数字が並ぶ。張本勲に次ぐ史上2人目の400本塁打・300盗塁達成。王貞治の19年連続に次ぐ歴代2位の9年連続30本塁打以上。福本豊の12度に次ぐ歴代2位タイの11度のゴールデングラブ受賞(87年から96年まで10年連続)。華麗なバック宙ホームインには全国の野球少年が憧れた。28歳で迎えた90年には35本塁打・51盗塁を記録。この「30本・50盗塁」達成者はNPBで秋山のみ。6年連続の「30本・20盗塁」も秋山のみだ。さらに通算2000本安打、西武とダイエーで計10度のリーグ優勝(日本一7回)といった勲章の数々。
通算本塁打は歴代15位の437本だが、自著「卒業」(西日本新聞社)の中で「移籍初年度は福岡ドームの高い外野フェンスに妨げられ、外野スタンドに入れ損ねたのが覚えているだけで7本あった」と書き記している。もしも現代のヤフオクドームのようなホームランテラスがあれば、ゆうに通算500本塁打は超えていただろう。
打って走って守ったNPB史上最高の5ツールプレイヤー秋山幸二。
あの頃、背番号1はまさにスペシャル・ワンだった。
今後しばらく、山田哲人や柳田悠岐は、秋山幸二が残した偉大なる数字を追うことになるだろう。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)