ロッテ05年の日本一に大きく貢献
先日の社会人野球東京大会で、渡辺俊介投手が、古巣での公式戦復帰登板を果たした。
世界一の低さを誇るサブマリンが日本の球場に戻ってきたのだ。現在、コーチ兼任という形で新日鉄住金かずさマジックに所属しているが、16年前にはその前身となる新日鉄君津の一員だった。
在籍時には、優勝こそできなかったものの、都市対抗で優秀選手賞を獲得、プロアマ混合で編成された2000年シドニーオリンピックの日本代表にも選出されるなどの結果を残した。
渡辺は、社会人野球での活躍を評価され、00年のドラフトでロッテに入団。03年に先発ローテーションに定着してからは、アンダースローから緩急を使い分け打たせて取る投球を武器に、05年にはチームの日本一にも大きく貢献。
その後もロッテの人気選手として活躍する。そこまではご存知の方も多いと思うが、その後のキャリアはというと、決して順調とはいえない。1勝もあげられずに終わった2013年。
オフにメジャー挑戦を表明し、ボストンレッドソックスとマイナー契約を結んでアメリカへ渡るが、オープン戦3試合で結果が残せず、2014年3月末に解雇となる。メジャー契約を約束されての渡米ではなかったので、本人も覚悟のうえだったのだろうが、厳しい再出発となった。
その後も、米独立リーグ、さらにはベネズエラのウィンターリーグなどでプレーを続けたが、メジャーへの夢は叶わず、昨年12月に社会人野球への復帰を発表した。
古巣の社会人チームに復帰
99年に元プロ野球選手の社会人野球チーム入りが人数制限付きで認められてから17年、最近ではプロから社会人へ移籍する選手も珍しくなくなってきた。
プロで戦力外となった後に、野球を続けるために社会人野球に舞台を移す選手、さらにそこで再びプロへの復帰を狙う選手も増えているが、今回の渡辺のようなケースはまだ稀だろう。
プロスポーツ界での選手のセカンドキャリアというのはどの競技でも問題となるが、渡辺の社会人野球復帰は、プロ野球選手引退後の活躍の場としての可能性を広げたのではないかと思う。
13年に解消された規定により、プロ経験者が、高校・大学の指導者になる資格を回復できるようにもなり、社会人野球だけでなく、学生指導も含めたアマチュア野球界での元プロ野球選手の活躍が期待されている。
プロ野球という最高レベルでの経験を後進に指導できるという面で、日本の野球界の底上げになり、さらにはプロ野球選手を目指す子供たちに新たな選択肢を与えることで、最近色々と問題になっている野球界全体の地位を引き上げることにもつながっていくのではないか。
社会人、プロを経験し、さらに一度日本球界を離れてから再びアマチュア球界にもどってくるという今回の渡辺の選択は、新たな一歩となるだろう。
さて、前述の社会人野球東京大会。初登板の翌日に行われた準決勝でJR東日本に勝利。この試合では渡辺はコーチに専念したが、ダブルヘッダーで行われた日本製薬との決勝ではチームは負けてしまったが、3イニングを投げ0点に抑える好投を見せた。
昨年末の復帰会見時には、あくまでコーチとしての選手育成を第一に掲げていた渡辺だが、16年前に成し遂げられなかった都市対抗優勝をマウンド上で迎える可能性はゼロではない。
指導者としての手腕も気になるところだが、ロッテ時代からのファンはそんな渡辺の姿も期待しているのではないだろうか。