巨人の高木康成が6日、自身のブログを更新。「戦力外通告から1カ月、この間、恩師、先輩、家族、とにかくたくさん話をしました。特に家族とは、じっくり時間を使って、今後の人生、子供達の将来の事も考え、色んな角度を想定しながら話をしました。そして決めました。今年でユニフォームを脱ぎます」と現役引退することをファンに向けて報告した。
高木は引退の理由について、「投げているボールがどのレベルなのか自分が一番よくわかります。正直リハビリ中のキャッチボールで、ここまで力が落ちるものなのかと身をもって痛感していました」と13年に受けた左肩の手術から再起を目指すも、自分が理想とするボールに戻らなかったようだ。
さらに高木は「このままリハビリを続けていけば当然もっと投げる事はできるでしょう。しかしプロのボール、その中でも一軍レベルの球のキレ、コントロール。そのレベルにはたどり着くことができない。そう判断しました。投げられたというだけで通用するような甘い世界ではないということです」とプロの厳しさについて綴っている。
今後については、「巨人軍の裏方として選手をサポートします。まだ詳しい役職は決まっていませんが、来年もジャイアンツ球場での仕事が多いと思いますので、球場にお越しの際は声をかけていただければ幸いです」と来季からは選手としてではなく、裏方としてチームを支えていくことを明かした。
高木は99年ドラフト2位で近鉄へ入団。04年オフに球団合併による選手分配ドラフトでオリックスへ移籍。09年オフには木佐貫洋とのトレードで巨人へ。巨人では貴重なリリーフ左腕として12年には40試合に登板し、防御率1.44の好成績でリーグ優勝に貢献した。しかし、13年8月に左肩関節唇の修復手術を受けると、同年オフから育成契約に。懸命なリハビリに励むも、今年の10月1日に戦力外通告を受けていた。
高木は引退の理由について、「投げているボールがどのレベルなのか自分が一番よくわかります。正直リハビリ中のキャッチボールで、ここまで力が落ちるものなのかと身をもって痛感していました」と13年に受けた左肩の手術から再起を目指すも、自分が理想とするボールに戻らなかったようだ。
さらに高木は「このままリハビリを続けていけば当然もっと投げる事はできるでしょう。しかしプロのボール、その中でも一軍レベルの球のキレ、コントロール。そのレベルにはたどり着くことができない。そう判断しました。投げられたというだけで通用するような甘い世界ではないということです」とプロの厳しさについて綴っている。
今後については、「巨人軍の裏方として選手をサポートします。まだ詳しい役職は決まっていませんが、来年もジャイアンツ球場での仕事が多いと思いますので、球場にお越しの際は声をかけていただければ幸いです」と来季からは選手としてではなく、裏方としてチームを支えていくことを明かした。
高木は99年ドラフト2位で近鉄へ入団。04年オフに球団合併による選手分配ドラフトでオリックスへ移籍。09年オフには木佐貫洋とのトレードで巨人へ。巨人では貴重なリリーフ左腕として12年には40試合に登板し、防御率1.44の好成績でリーグ優勝に貢献した。しかし、13年8月に左肩関節唇の修復手術を受けると、同年オフから育成契約に。懸命なリハビリに励むも、今年の10月1日に戦力外通告を受けていた。