「生涯ジャイアンツ」を語ったワケ
「僕は生涯ジャイアンツ」…。
山口鉄也がこの言葉を口にしたのは、前人未到の“8年連続60試合登板”を達成し、国内FA権を取得した昨オフのことであった。
思い返せば、その前年に行われたグアム自主トレの際にも、30歳の誓いとして同じ言葉を口にしている。
他球団での挑戦や、メジャーという夢の広がる舞台に身を置いている中で、左腕が語った覚悟。山口が巨人で投げ続ける原動力となっているのが、“恩返し”の気持ちだった。
“3度目の正直”で巨人へ
今やチームに欠かせない中継ぎ左腕として絶対的な信頼を得ている山口であるが、入団当初は育成選手だった。
高校卒業後、ダイヤモンドバックスからの誘いを受け、マイナー契約でアメリカへ。マイナーリーグのミズーラ・オスプレイで4年間プレーしたが、シングルAにも昇格することがないままアメリカでの挑戦を終える。
その後、日本に帰国。2005年に横浜ベイスターズ(現DeNA)と楽天の入団テストを受けるも、不合格を言い渡された。
そんな中“3度目の正直”としてテストを受けたチームこそ、現在所属している巨人だったのだ。
テストに合格し、その年に初開催となった「育成ドラフト」で巨人からの1巡目指名を受ける。晴れて日本でプロ野球選手となることに成功した。
8年連続60試合登板の“鉄人”
育成選手として日本でのキャリアをスタートすると、2年目の2007年には支配下選手に登録。巨人の育成選手で支配下登録を勝ち取ったのは、松本哲也以来で2人目。投手としては初めての事だった。
その年、一軍でのデビューも果たし、32試合の登板で2勝0敗、防御率3.91と活躍。頭角を現した左腕は、その翌年には開幕一軍も勝ち取り、67試合に登板。11勝2敗2S、防御率2.23と良い意味で首脳陣の期待を裏切る活躍を披露。チームの優勝に大きく貢献した。
そこからの活躍はご存知の通り。2008年に始まったシーズン60試合登板の連続記録は、途切れることなく現在も継続中だ。
昨シーズンは左肘痛の影響で思うようなキャンプが送れず、調整が遅れてしまったものの、最終的にはちょうど60試合に登板。“鉄人”ぶりを発揮し、“勝利の方程式”の一角を守った。
原辰徳監督が退任し、高橋由伸新監督が誕生した巨人は変革の真っ只中。ともに方程式の一角を務めてきたスコット・マシソンを先発として試すなど、新たな方法を模索している。
そんなことができるのも、山口鉄也という絶対的な柱があってこそ。昨年、転向初年度ながらストッパーとして活躍した沢村拓一とともに、この2本柱は高橋新監督の頭のなかに“不動の存在”として計算されているに違いない。後ろに強固な軸があるからこそ、新たな挑戦を行うことができるのだ。
左肘の不安から解放された今年のキャンプでは順調ぶりを披露。18日に行われた韓国・LGとの対外試合にも登板し、1回を無安打無失点とさすがの仕上がりを見せた。
アメリカでの苦闘を経て、育成から這い上がった男にとって、2016年が支配下10年目のシーズン。過去9年で561試合に登板し、チームを支えてきた男は、今年も“恩返し”を胸に投げ続ける。
▼ 山口鉄也
生年月日:1983年11月11日(32歳)
出身:神奈川
経歴:横浜商高-米マイナー
ポジション:投手
身長/体重:184センチ/88キロ
投打:左投左打
[NPB通算] 561試 50勝20敗28セーブ、251ホールド(300HP) 奪三471 防2.09