高校時代は『機動破壊』の代表的選手
『機動破壊』。高校野球界に旋風を巻き起こした高崎健康福祉大学高崎高校(健大高崎)のチームスローガンである。野球では、走塁力のことを『機動力』と呼ぶことが一般的であるが、健大高崎の『機動破壊』は、「単に走塁で相手に脅威を与えるだけでなく、走らなくても相手に脅威を与えることである」と、機動破壊の生みの親でもある葛原毅コーチは語っている。
健大高崎は、女子高校の群馬女子短期大学付属高校から2001年に改称、共学化された歴史の新しい学校である。平成23年、創部10年目で夏の甲子園に初出場を果たした。脇本の初甲子園は、3年時で、群馬県予選6試合で11盗塁を記録した勢いそのままに甲子園でも全試合3番ライトとして出場し、4試合で6盗塁、打率.500の活躍。
チームも1953年に土佐が記録した1試合13個の大会記録にこそ届かなかったが及ばなかったが、1回戦の4盗塁と合わせ2試合で15盗塁。健大高崎の機動破壊は、この年の甲子園に旋風を巻き起こした。
プロでは昇格を目指し二軍で汗を流す
脇本は、14年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから7位指名を受け、同校初のプロ野球選手となった。走力も然ることながら、高校通算57本塁打の長打力も兼ね備える脇本は、将来トリプルスリーも期待できるスケールの選手である。
ルーキーイヤーの15年、脇本はファームの試合で加藤翔平の100試合に次ぐ2位の99試合に出場したが、187打数35安打3本塁打4盗塁と、結果を残すことが出来なかった。
それでもなお、16年も24試合終了時点で、23試合の出場機会を得ており、首脳陣の期待の高さが伺える。打率は1割台と、一軍昇格は先の話になりそうではあるが、少ない出塁機会ながら、3盗塁を決めているのはチーム内で脇本のみで、機動破壊のDNAは、プロの世界でも残っている。
ロッテが、最後にペナントレースを制したのは05年シーズン。この年、シーズンのチームの盗塁数は101でリーグトップであった。2位のソフトバンクが「72」、最も少なかった楽天の「41」という数字を見ると、いかにこの年のロッテがいかに他の5球団に「機動破壊」を起こしたかがわかる。
奇しくも、05年以降10年以上、ロッテは優勝と共に盗塁数トップの座からも遠ざかっている。ロッテの「優勝」と「機動力」は、融和している。
まだまだ2年目の成長段階。脇本が大きく成長し、一軍でのポジションを掴んだとき、マリンは間違いなく「機動破壊」される。