“鉄人”が打ち立てた大記録
今から30年前の1986年6月7日、甲子園球場での阪神-広島(8回戦)で、ひとつの偉業が生まれた。
広島の衣笠祥雄(当時39歳)が、日本プロ野球史上初の2000試合連続出場を達成。入団6年目の1970年10月19日から休むことなく試合に出続けた男が、ひとつの金字塔を打ち立てた。
1987年の6月13日には、ルー・ゲーリッグが持っていた連続出場の世界記録を更新する2131試合連続出場を達成。以降、その記録を2215試合まで伸ばし、現役を引退する。
後にカル・リプケンが2632試合連続出場を達成し、衣笠の記録は“世界第2位”となるものの、その大記録の価値はあせることなく、今なお燦然と輝いている。
「2215」というとてつもない数字
“鉄人”――。「鉄のように強靱な肉体や精神を持った人」を指す。
今でこそ様々な分野で耳にする言葉であるが、この愛称で親しまれた最初の選手といえば、衣笠のほかにいないだろう。
2215試合連続出場は日本歴代1位で、世界でも歴代2位の大偉業。死球をぶつけられても、「いいよいいよ」と言わんばかりに手を挙げて一塁へ颯爽と向かっていくシーンや、骨折を追いながらも試合に出続けたという逸話でも有名。1987年には王貞治氏に次いでプロ野球選手2人目となる国民栄誉賞を受賞した。
多くの選手がこの衣笠の記録に挑んでいったものの、衣笠はおろか「2000試合」の壁を突破する選手すら出てきていないというのが現状。いかに衣笠の肉体と精神が強靭なものであったかが分かる。以下をご覧頂きたい。
【連続試合出場】
1位 2215試合 衣笠祥雄(70年10月19日~87年10月22日)
2位 1766試合 金本知憲(98年7月10日~11年4月14日)
3位 1669試合 鳥谷 敬(04年9月9日~継続中)☆
4位 1250試合 松井秀喜(93年8月22日~02年10月11日)※日本のみ
5位 1246試合 飯田徳治(48年9月12日~58年5月24日)
日本における、連続試合出場の上位5人はこのようになる。松井秀喜はメジャー移籍後も出場を続けたが、2006年の5月に試合中の守備で左手を骨折。日米通算の連続試合出場も1768試合でストップした。
鳥谷が最後の希望!?衣笠の記録が破られる日は来るのか…
松井の記録が止まった時、衣笠は自らの記録が破られなかったことを残念がった。
いよいよもうこの記録を破るものは現れないのではないか…。そんなことを考えていると、歴代トップ5の中に現役選手がいることに気がつく。
阪神の不動のショート・鳥谷敬。6月7日時点で連続試合出場は1669試合まで伸び、歴代3位にランクイン。現在の指揮官である金本の記録まで100試合を切ってきた。
今年で35歳を迎える男は、今シーズンもこのまま全試合出場を継続すれば、シーズン終了後の連続出場数は1752試合まで伸びる。
このまま年間143試合制が変わらずに進むと仮定すると、2017年シーズン終了後には1895試合に到達し、2018年終了後には2038試合で大台を突破。2019年終了後には2181試合となり、東京五輪が開催される2020年終了後には2324試合で記録更新となる。
2020年、鳥谷は39歳を迎える。ちょうど30年前、2000試合出場を達成した時の衣笠と同じ年齢だ。あり得ない話ではないだろう。
ただし、鳥谷の場合はショートというポジションの問題もつきまとう。現に今シーズンは守備でらしくないプレーが度々見られており、ファンからは厳しい声も挙がっている。
もしかすると“最後の希望”となるかもしれない鳥谷は、衣笠の偉大な記録にどれだけ迫ることができるか。これからのプロ野球を見ていくうえでの注目ポイントとなる。
▼ 衣笠祥雄
生年月日:1947年1月18日生まれ
守備位置:内野手
投打:右投右打
経歴:平安高-広島
[通算成績] 2677試 打率.270 安打2543 本塁打504 打点1448
☆MVP 1回(1984)
☆打点王 1回(1984)
☆盗塁王 1回(1976)
☆ベストナイン 3回(1975,1980,1984)
☆ゴールデングラブ賞 3回(1980,1984,1986)