ニュース 2016.08.13. 12:30

優勝の立役者がまさかの謝罪!? 「優勝投手」を寸前で逃した“涙のプリンス” 【あの夏のヒーロー】

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激闘を終え、健闘をたたえ合う堂林と日本文理のエース・伊藤(C)KYODO NEWS IMAGES

今でも語り草となっている2009年夏の決勝


 今から7年前、2009年の夏の甲子園――。この時頂点に立ったのが、愛知の中京大中京である。

 1966年以来、実に43年ぶり7度目となる全国制覇。優勝6度で並んでいた広島商を抜き、優勝回数の史上最多記録を樹立した。

 その快挙を、投打の中心として牽引した男がプロ野球界にいる。広島の堂林翔太だ。「エースで4番」として3年の夏に優勝を果たし、これ以上ない夏を過ごしたはずなのだが、男にとっての甲子園は決して“いい思い出”だけではなかった...。


「日本文理の夏は終わらない」――


 5割を超える打率を残し、最終的には大会タイ記録となる6二塁打を放つ堂林を中心に、破壊力抜群の強打で勝ち上がった中京大中京。日本文理(新潟)との決勝戦でも、初回に堂林がで2ランを放って先制。3回に同点とされるも、6回には堂林の2点タイムリーなど5長短打を集め、一気に6点を勝ち越した。

 10-4と中京大中京が6点をリードして迎えた9回表、この日は6回途中でマウンドを降り、ライトを守っていた堂林が試合を締めくくるべく再びマウンドに登る。先頭から二者連続で斬り、かんたんに二死。優勝まであと一人となったが、この後ドラマが待っていた。

 新潟県勢初の決勝進出となった日本文理が驚異的な粘りを見せ、二死から四球と盗塁で招いたピンチにタイムリーを浴びると、続く打者にもスリーベースを浴びてもう1点。10-6とされると、続く打者のファウルグラウンドに上がったフライを三塁手の河合完治が見失い、これがファウルに。堂林は続く打者に死球を与え、再びライトへと回ることになる。

 それでも勢いのついた日本文理打線は止まらない。四球で満塁とし、レフトへのタイムリーで2点。さらに後続もタイムリーで続き、10-9とあっという間の1点差。なおも走者は一三塁に残り、球場中が奇跡の逆転劇に期待を寄せていた。

 ここで続く打者の打球は、快音を残して三塁へ。痛烈な打球に甲子園は沸いたが、ほんの数秒後、打球は三塁手・河合のグラブの中に収まった。

 試合終了。中京大中京が日本文理を振り切り、史上最多7度目の優勝を掴んだ。


優勝したのに“涙の謝罪”


 試合後、優勝インタビューに登場した堂林は泣いていた。

 「本当は最後まで投げたかったけど、ほんと情けなくて…。ほんとすみませんでした」

 嬉しい涙ではなく、悔しさから声を詰まらせながらの“謝罪”だった。


 打者として大会打率.522、打点12を記録し、強力打線を牽引。間違いなく優勝の原動力となったのだが、優勝投手にはなれなかった。それどころか最後に優勝も危ぶまれるような状況を作ってしまった。「投手・堂林」としては後味の悪い、ただただ悔しい甲子園となったのであった。


7年目、勝負の夏へ――


 その秋、堂林は広島から2位指名を受けてプロ野球選手となった。

 ただし、打撃を買われての“野手”としての指名。「投手・堂林」は高校までで幕を下ろすこととなる。

 それでも、3年目の2012年に開幕戦で一軍デビューを飾ると、その年の全144試合に出場するブレイク。打率.242、本塁打14、打点45を記録し、オールスターにも出場するなど飛躍を遂げた。

 ところが、近年は故障にも悩まされ、出場機会が減少。昨年は33試合の出場に留まるなど、苦しい時を過ごしている。

 今季も31試合の出場で打率.205に2本塁打。25年ぶりのリーグ優勝へ突き進むチームの中で存在感を示すことができず、二軍暮らしがつづく。

 “鯉のプリンス”も今年で7年目。もう言い訳はできない状況となりつつある。7年前に流した悔し涙を、プロの舞台で嬉し涙に変えるためにも……。この夏が堂林にとって“勝負の夏”となる。
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