増える“準永久欠番”
日本中に衝撃を与えた広島・黒田博樹の引退。
広島から夢を追いかけ世界へと羽ばたき、最後は慣れ親しんだ赤いユニフォームに袖を通した。鯉の背番号「15」が見られる時間も、のこりわずかとなった。
黒田の引退に伴い、広島の背番号「15」を“準永久欠番”に...という声も挙がっている。“永久欠番”ではないものの、ふさわしい選手が現れるまでは球団の“預かり番号”という形に、というのが“準永久欠番”だ。思えば、黒田がメジャー挑戦中の期間もずっと「15」は空き番号となっていた。
今年でいうと、DeNAも三浦大輔の「18」を“横浜ナンバー”とすることを発表した。“横浜ナンバー”とは、「プレーや振る舞いでチームを牽引する象徴となるべき選手が継承する番号」のことを指し、後継者が現れた際には球団と三浦で協議を行ったうえで継承する。
このように、近年は“永久欠番”とまではいかなくとも、功労者の背番号を“準永久欠番”とする球団が増加している。
近年の“準永久欠番”といえば...
広島では、2013年に現役を引退した前田智徳がつけていた「1」を準永久欠番となっている。
前田はデビューした90年からの2年間は「51」を背負い、92年からの2年間は「31」。そして、94年から山崎隆造の後を継ぐ形で「1」を背負った。
「1」に変更してからは故障に悩まされる時期もあったが、困難を乗り越えて復活を果たし、07年には通算2000安打の偉業も達成。ファンに惜しまれつつ、そのユニフォームを脱いだ。
他にも、ヤクルトで宮本慎也の「6」と古田敦也の「27」が同様の扱い。最近ではソフトバンクが川崎宗則の「52」を、楽天が田中将大の「18」を空き番号としておくなど、引退に限らず空席にしておくケースもある。
“準永久欠番”が継承されたケース
上述で紹介した番号はまだ継承者が現れていないが、継承されたケースというのも存在する。
たとえば、広島の背番号「7」がその一例。野村謙二郎が05年に引退した後、「7」は“準永久欠番”として7年間空き状態となっていたが、自らが指揮を執った2013年に堂林翔太へと継承した。
巨人の「55」も、松井秀喜のメジャー移籍から6年間預かり番号となっていたが、2009年にドラフト1位入団の大田泰示が継承。ただし、2014年から大田が「44」に変更したため、現在は再び空き番号になっている。
球団の創設から長い年月をかけて引き継がれてきた背番号。そこには、その時代ごとのファンの思い出が詰まっている。
番号を偉大な一人の選手のものとすることなく、その時代ごとの“ふさわしい人物”が球団の歴史と伝統を後世に受け継いでいく。各球団の“準永久欠番”がどのようにして受け継がれていくのか。プロ野球を継続して見ていく上での、たのしみのひとつとなる。