コラム

実はセンバツ優勝“投手”だった…「世界のホームラン王」の高校時代

「血染めのボール決戦」の主役


 まもなく開幕する春のセンバツ高校野球。これまで、何人もの選手が優勝投手の栄冠を勝ち取ってきた。

 その中で、もっとも意外な投手が、この方だろう。王貞治。…うん? あの本塁打王に何度も輝き、日本プロ野球最多の868本塁打をマークした、あの王さん? 本塁打だけではない。通算1967得点、通算2170打点、通算四球2390個など打撃部門で数々の通算1位記録を持っている王さんが、投手?

 そうなんです。これは意外なのだが、実は王さん、高校時代はサウスポー投手。しかも、本格派だったというから、驚きだ。

 1957年、春のセンバツ大会。早実(東京)のエースだった王貞治投手(2年)は、初戦の2回戦、寝屋川(大阪)戦に1-0、準々決勝の柳井(山口)に4-0、準決勝の久留米商(福岡)に6-0。3試合連続完封勝利で決勝へ進出した。初戦は1安打しか許さず、準々決勝は11奪三振無四球、準決勝も無四球と完ぺきな内容だった。

 決勝は高知商(高知)戦。この試合も7回まで5-0とリードし圧勝ペース。だが、王はアクシデントに見舞われていた。準決勝で左中指の爪を割り、出血。そのまま投げ続けていた。そして、8回に王が崩れた。連続タイムリーを浴び、3失点。35イニング目に、この大会で初失点を喫した。

 だが、ここで踏ん張り、5-3で勝ちきった。高知商の投手も指のマメを潰しながら力投したことから、「血染めのボール決戦」として、マスコミが大きく取り上げた。王の活躍で、大会旗が初めて箱根の山を越えたことも、大きな話題になった。

 その年の夏も、早実は甲子園出場を果たし、初戦・2回戦の寝屋川戦で、王は延長11回を投げ抜き、1-0で勝利。何とノーヒットノーランを達成したのだ。だが、準々決勝の法政二(神奈川)戦では1-2で敗れ、春夏連覇はならなかった。

 58年の春のセンバツ大会にも出場したが、準々決勝で敗退した。甲子園に春夏合わせて4度出場。エースとしてチームを支えたのが王だった。


巨人にも投手として入団した


 59年、王は巨人に入団する。そこでも意外だったのが、投手として入団したこと。投手では、あの阪神の村山実投手、中日の板東英二投手、阪急の足立光宏投手らと同期でプロ入りした。ルーキーとして、キャンプに参加した王だったが、「投手としての大成は難しいのでは」と当時の水原監督は感じたという。

 そこで、野手転向を勧められ、一塁手へ。プロ入り3年目までは並の成績だったが、4年目に一本足打法を習得してからは大打者へ登り詰めた。それ以上は説明する必要はないだろう。

 王貞治と聞いて、50代以上の野球ファンなら、日本一のホームランバッターで甲子園の優勝投手だということを知っているかもしれない。だが、20代などの若い人は、日本一のホームランバッターということは知っていても、それ以外となると元ダイエーの監督だったことを覚えているぐらいではないだろうか。

 大打者になる前は、投手だった王貞治。今春のセンバツでエース兼4番を打つ選手が何人いるのかはわからないが、そんな選手は将来が楽しみでしかない。
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