3648日ぶりの日本登板は苦しいマウンド
物語は始めるよりも、終わらせる方が難しい。
ある映画脚本家はそう言った。これはプロ野球選手だって同じだろう。2日、楽天戦(Koboスタ宮城)の8回裏にソフトバンク4番手として登板した松坂大輔。NPBでは西武時代の06年10月7日以来、3648日ぶりの一軍マウンドに上がったが、いきなり先頭の嶋基宏に四球、続く島内宏明には死球、梨田監督の粋な計らいで西武時代の盟友・松井稼頭央が代打に送られるも続けて死球で無死満塁とすると、ペゲーロには押し出し四球で1点を失い、その後もタイムリーを浴びる完全なひとり相撲。1回3安打4四死球5失点という無惨な結果に終わった。
元々、なにか復活の根拠がある復帰登板ではなかったように思える。直近の9月25日の二軍戦では先発するも2回3安打2失点。今季ウエスタン成績は9試合で1勝4敗、防御率4.94。5年前に右肘のトミー・ジョン手術を受け、昨年8月には右肩手術もして、今年5月には右手指先の違和感を訴えたりと満身創痍。
それでも、チームの今季ペナント最終戦に投げさせたのは、ソフトバンク首脳陣の心のどこかに「一軍相手でも松坂ならなんとかしてくれるかも」「背番号18が優勝を逃したチームの雰囲気を変えてくれれば…」という漠然とした期待があったからではないだろうか。
圧倒的な存在だった松坂大輔
98年夏の甲子園決勝戦でノーヒットノーラン達成、プロデビュー戦の155キロ計測、ルーキーイヤーに16勝を挙げ最多勝を獲得。これまで幾度となく不可能を可能にしてきたのが松坂大輔の野球人生である。だが、今度ばかりはどうにもならなかった。
恐らく、90年代から松坂を見続けていたファンは、結果以前にこれまで幾度となく共有してきた、松坂だけが持つマウンド上での特別な雰囲気が全く感じられなかったことがショックだったはずだ。不思議なことに、全盛期の松坂ほど抑えたときだけでなく、打たれて絵になった投手はいない。真っ向勝負の散り際の美しさ。イチローや中村紀洋にホームランを打たれてなお、目立つのはマウンド上の松坂…みたいな底の知れないあの感覚。今、振り返ると西武時代の松坂大輔という投手は勝っても負けても、常に主役でいられた稀有な存在だったように思える。
ちょうど10年前の2006年、26歳の松坂は第1回WBCでMVP獲得。シーズンに入ると西武の大黒柱として17勝5敗、防御率2.13というNPBキャリアハイの成績を残し、オフにはポスティング制度でレッドソックスが約60億円で落札。年俸分と合わせ「100億円の男」と呼ばれ、謎のジャイロボール論争を巻き起こす。レッドソックス入団後も2年間で計33勝を上げる活躍で、名実ともに日本の大エースとして君臨していた。
その頃、会社で80年生まれの新入社員たちはそれほど野球に興味がなくても、おじさんたちに「俺、松坂世代です」と自己紹介したものだ。まさに同世代のトップランナーとして走り続けた野球人生。そんな規格外の怪物投手も3年総額12億円の大型契約で日本復帰して早2年だ。何もできないまま来季は契約最終年。物語は始めるよりも、終わらせる方が難しい。
その昔、大エースは大エースのままで辞めるのが当たり前だった。村田兆治は10勝を挙げたシーズンに引退したし、小林繁は31歳、江川卓は32歳でともに13勝を記録しながらも現役を退いた。選手寿命が延びた現代の大エースはある意味しんどい。なぜなら、YouTubeに行けばいつでも過去の栄光時代の自分と比較されてしまうからだ。昨日の試合後に現役続行を明言した松坂だが、いったいどんな野球人生のラストシーンを迎えるのだろうか?
時の流れは早い。今秋のドラフトでプロ入りする高校生たちの多くは、横浜高校のエース松坂が甲子園で躍動していた1998年生まれの選手たちだ。
松坂大輔は来年9月で37歳になる。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)