楽天は28日、中島俊哉選手に来季の契約を結ばない旨を通告した。
中島はプロ12年目、34歳の外野手。特に野村克也監督には左キラーとして重宝され、2008年にはキャリア最多の81試合に出場。規定打席には到達しなかったが.315の高打率を残している。しかし、近年は出場機会が減少。今年はわずか4試合の出場にとどまった。
プロ入りは2002年。オリックス・ブルーウェーブから8巡目指名を受け、プロ野球選手としての一歩を踏み出した。オリックスは当時、今で言う育成枠に近いものであるが、ドラフトの時点ではやや実力が足りないと思われる選手を契約金0円でドラフト指名し、その後、一軍登録日数などの条件を達成すると出来高として契約金相当額が後に支払われるという“契約金ゼロ枠”という制度を採っていた。
結局この制度が採用されていた2000年から2002年の3年間で10人が“契約金ゼロ選手”としてオリックスへ入団したが、9人はすでにプロ野球界から去った。中島が最後の生き残りなのである。
また、中島は2004年の球界再編により行われた分配ドラフトで楽天に加入。分配ドラフトを経て楽天へ移った元オリックス・ブルーウェーブの選手というのも中島が最後である。
年々減少してゆく“青波戦士”たち。今年も平井正史と日高剛がユニフォームを脱ぐことを発表。さらに今日、元ブルーウェーブで広島に在籍していた上村和裕と迎祐一郎の戦力外通告も発表された。中島の今後の去就については未定となっている。
【現役の青波戦士たち】※[ ]内はブルーウェーブ在籍期間
・中嶋聡(日本ハム) [1991-1997]☆1987年に阪急でキャリア開始。最後の阪急戦士でもある。
・谷佳知(オリックス) [1997-2004]
・迎祐一郎(広島) [2000-2004] ※今年、戦力外通告
・上村和裕(広島) [2001-2004] ※今年、戦力外通告
・後藤光尊(楽天) [2002-2004]
・平野恵一(オリックス) [2002-2004]
・イチロー(ヤンキース) [1992-2000]
中島はプロ12年目、34歳の外野手。特に野村克也監督には左キラーとして重宝され、2008年にはキャリア最多の81試合に出場。規定打席には到達しなかったが.315の高打率を残している。しかし、近年は出場機会が減少。今年はわずか4試合の出場にとどまった。
プロ入りは2002年。オリックス・ブルーウェーブから8巡目指名を受け、プロ野球選手としての一歩を踏み出した。オリックスは当時、今で言う育成枠に近いものであるが、ドラフトの時点ではやや実力が足りないと思われる選手を契約金0円でドラフト指名し、その後、一軍登録日数などの条件を達成すると出来高として契約金相当額が後に支払われるという“契約金ゼロ枠”という制度を採っていた。
結局この制度が採用されていた2000年から2002年の3年間で10人が“契約金ゼロ選手”としてオリックスへ入団したが、9人はすでにプロ野球界から去った。中島が最後の生き残りなのである。
また、中島は2004年の球界再編により行われた分配ドラフトで楽天に加入。分配ドラフトを経て楽天へ移った元オリックス・ブルーウェーブの選手というのも中島が最後である。
年々減少してゆく“青波戦士”たち。今年も平井正史と日高剛がユニフォームを脱ぐことを発表。さらに今日、元ブルーウェーブで広島に在籍していた上村和裕と迎祐一郎の戦力外通告も発表された。中島の今後の去就については未定となっている。
【現役の青波戦士たち】※[ ]内はブルーウェーブ在籍期間
・中嶋聡(日本ハム) [1991-1997]☆1987年に阪急でキャリア開始。最後の阪急戦士でもある。
・谷佳知(オリックス) [1997-2004]
・迎祐一郎(広島) [2000-2004] ※今年、戦力外通告
・上村和裕(広島) [2001-2004] ※今年、戦力外通告
・後藤光尊(楽天) [2002-2004]
・平野恵一(オリックス) [2002-2004]
・イチロー(ヤンキース) [1992-2000]