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大引が固辞したヤクルトの背番号「1」 人気と実力を兼ね備えた名選手の系譜

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世界一こそ逃したものの、ロイヤルズ29年ぶりのワールドシリーズ進出に貢献した青木宣親 [Getty Images]
 日本ハムからヤクルトにFA移籍した大引啓次が5日、球団事務所で入団会見を行い、新背番号「2」をお披露目した。

 オリックス、日本ハムでショートのレギュラーとして活躍してきた大引に対し、ヤクルト側は背番号「1」も選択肢として与えたが、大引はこれを固辞。「歴代の素晴らしい先輩方の背番号。若い世代がしっかりと引き継いでほしい」とのメッセージを残し、2番を新天地での背番号に選んだ。

 王貞治(元巨人)や鈴木啓示(元近鉄)のように、他球団では永久欠番になっている1番だが、ヤクルトでは時代の顔とも言える叩き上げの名選手たちが継承してきた。

 “王二世”と期待された奥柿幸雄のあと、1972年から1番を託されたのが電電北海道からドラフト3位で入団した若松勉。1年目の71年は57番を背負ったが、ルーキーイヤーからレフトのレギュラーとして打率.303をマークすると、翌年から1番を与えられた。

 2年目に打率.329で首位打者に輝いた若松は“小さな大打者”と呼ばれ、以降も数々の打撃タイトルを獲得。ユニフォームを脱ぐ89年まで1番を背負い続け、通算2173安打、打率.319という偉大なる数字を残した。

 若松引退から2年後、92年から1番を託されたのが、それまで36番を背負い“ブンブン丸”の愛称で親しまれた池山隆寛。広沢克己との“イケトラコンビ”としても人気を博し、92年には5年連続30本塁打を達成。キャリア晩年はアキレス腱痛に苦しめられたが、4度のリーグ制覇に3度の日本一を達成した90代の黄金期を支えた。

 2001年からは高卒5年目の岩村明憲が背負い、打率.287、18本塁打、81打点の好成績でリーグ制覇に貢献。この年は近鉄との日本シリーズでも活躍し優秀選手賞に選ばれると、翌02年にはフル出場を果たし初の打率3割をクリア。44本塁打を放った04年以降、3年連続で30本塁打をクリアし、07年から活躍の場をアメリカに移した。

 前任者の活躍もあり、偉大なる番号として認識されたヤクルトの1番。岩村退団後、次なる継承者である青木宣親は、07年終了時点で2度の首位打者、05年には史上2人目のシーズン200安打クリアの実績があったにも関わらず、1番への打診を「時期尚早」との理由で拒否。青木はようやく10年から1番を背負い、この年.358という圧倒的な打率を残し、こちらも12年からメジャーリーグへの挑戦を果たした。

 青木退団後、12年から3シーズン空き番号となっている背番号「1」。次なる継承者は、今シーズン日本人右打者では最多となる193安打をマークした山田哲人が最右翼と見られるが、ヤクルトの場合は“期待の1”と言うより“実績の1”であることがこれまでの系譜でうかがえる。

 それならば通算打率.291を誇り、すでに一桁の「5」を背負う川端慎吾も候補の一人だが、現時点で1番は空いたまま。期待の野手が1番に相応しい実績を残せるのか、来シーズンも背番号が繋ぐ物語から目が離せない。
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