大型補強を敢行し19年ぶりのリーグ優勝に向けて盛り上がっていたオリックスだが、蓋を開けてみると54年ぶりに開幕4カード負け越し。そんな中、2月にテストで入団したカラバイヨが9日、故障で離脱したヘルマンに替わって一軍に昇格。同日のロッテ戦で『3番・指名打者』で先発すると1本塁打3打点の活躍。浮上のきっかけがつかめない中で、救世主として期待してしまう。
テスト入団のカラバイヨは、かなりの苦労人。09年に四国ILの高知ファイティングドッグスで、日本のチームで初めてプレーした。そこで、本塁打と打点のタイトルを獲得。翌10年はプロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでプレーし、ここでも本塁打のタイトルを獲得。
独立リーグで活躍するカラバイヨに注目したオリックスが、同年の7月9日に獲得を発表。BCリーグから外国人選手が初めてNPBに移籍となった。オリックスでもその打棒を発揮し、初出場となった7月19日の楽天戦で本塁打を放つなど途中加入ながら7本のアーチを描いた。
しかし翌11年は左手首の手術を受けた影響もあったのか、打撃も精彩を欠き一軍でわずか4試合の出場にとどまり、同年限りで戦力外通告を受けた。
カラバイヨは1年間北米の独立リーグでプレーした後、13年に選手兼任コーチとして群馬に復帰。本塁打、打点のタイトルを獲得すると、14年はBCリーグ史上初となる30本塁打を放つなど、63試合の出場ながら打率.396、33本塁打87打点の成績を残し三冠王。
この活躍を受けて15年1月に古巣・オリックスが、第6の助っ人獲得に向けて入団テストを実施することを発表。キャンプ初日の2月1日からテスト生として練習に参加し、2月16日にオリックスはカラバイヨと契約することを発表。その時点では、野手だとブランコ、ヘルマン、投手ではバリントン、ディクソン、マエストリと実績のある選手がいたこともあり、彼らにアクシデントがない限りほとんど出番がないと思われた。
だが、シーズンが開幕してすぐにブランコが故障で一軍登録を抹消。さらにヘルマンも故障と、野手では3番手だったカラバイヨに早くもチャンスが巡ってきた。そのチャンスに、9日のロッテ戦で昇格後即本塁打を放つなどアピール。苦労した外国人はこの本塁打をきっかけにオリックスのチームを救うとともに、ジャパニーズドリームを掴むことができるのだろうか。
テスト入団のカラバイヨは、かなりの苦労人。09年に四国ILの高知ファイティングドッグスで、日本のチームで初めてプレーした。そこで、本塁打と打点のタイトルを獲得。翌10年はプロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでプレーし、ここでも本塁打のタイトルを獲得。
独立リーグで活躍するカラバイヨに注目したオリックスが、同年の7月9日に獲得を発表。BCリーグから外国人選手が初めてNPBに移籍となった。オリックスでもその打棒を発揮し、初出場となった7月19日の楽天戦で本塁打を放つなど途中加入ながら7本のアーチを描いた。
しかし翌11年は左手首の手術を受けた影響もあったのか、打撃も精彩を欠き一軍でわずか4試合の出場にとどまり、同年限りで戦力外通告を受けた。
カラバイヨは1年間北米の独立リーグでプレーした後、13年に選手兼任コーチとして群馬に復帰。本塁打、打点のタイトルを獲得すると、14年はBCリーグ史上初となる30本塁打を放つなど、63試合の出場ながら打率.396、33本塁打87打点の成績を残し三冠王。
この活躍を受けて15年1月に古巣・オリックスが、第6の助っ人獲得に向けて入団テストを実施することを発表。キャンプ初日の2月1日からテスト生として練習に参加し、2月16日にオリックスはカラバイヨと契約することを発表。その時点では、野手だとブランコ、ヘルマン、投手ではバリントン、ディクソン、マエストリと実績のある選手がいたこともあり、彼らにアクシデントがない限りほとんど出番がないと思われた。
だが、シーズンが開幕してすぐにブランコが故障で一軍登録を抹消。さらにヘルマンも故障と、野手では3番手だったカラバイヨに早くもチャンスが巡ってきた。そのチャンスに、9日のロッテ戦で昇格後即本塁打を放つなどアピール。苦労した外国人はこの本塁打をきっかけにオリックスのチームを救うとともに、ジャパニーズドリームを掴むことができるのだろうか。