大混戦で盛り上がりを見せる今年のセ・リーグ。めまぐるしく順位が入れ替わる中で、いまひとつ勢いに乗れていないのが巨人だ。
6月はここまで6勝12敗と6つも負け越し。特に投手陣は月間の防御率が3.24とリーグトップの数字を叩き出しているものの、チーム打率が.226でリーグ最下位と足を引っ張っている。
気がつけば、打率リーグ最下位に沈む阪神と1厘差の.237。個人で見ても、規定打席到達でのチームトップが亀井善行の.281となっており、今年も3割打者はいない。
強打の印象が強いチームであるが、これほどまでに打線が苦しんだシーズンというのは未だかつてあっただろうか。巨人の年間の
チーム打率を悪かった年から順にランキングにしてみた。
2位 .229(1960年)
3位 .232(1962年)
4位 .235(1964年)
5位 .236(1975年)
6位 .238(1993年)
7位 .243(2011年)
8位 .2513(2006年)
9位 .2510(1997年)
10位 .252(1995年)
現在のチーム打率.237は、このランキングで言うと6位にあたる。まだ上がいるとはいえ、上位5つのうち4つは特に“投高打低”の時代と言われた1960年代前半に記録されたものである。
打率.236を記録した1975年は、47勝76敗7分で最下位に沈んだ年。打撃10傑に入ったのが打率.285の王貞治(当時35歳)ただ一人で、規定到達での3割打者は一人もいなかった。
また、6位の1993年といえば、現監督である原辰徳が4番を張っていた時代。この年も3割打者が0人で、チームトップが川相昌弘の.290だった。それでも、チームは槙原寛己、桑田真澄、斎藤雅樹らを擁した投手陣の頑張りもあって3位でシーズンを終えている。
ちなみに、当時35歳の原辰徳“選手”は、打率.229、11本塁打、44打点という成績。度重なる故障に悩まされて調子を崩し、プロ入り後初めて規定打席に到達することができず。ルーキーイヤーから続いていた連続20本塁打以上の記録が12年で途切れた。
奇しくも、今度は監督としてチームを率いる立場となって迎えた極度の打撃不振。“経験者”である原監督がここからどう持ち直し、リーグ4連覇へとつなげていくのか。指揮官のタクトに注目だ。
6月はここまで6勝12敗と6つも負け越し。特に投手陣は月間の防御率が3.24とリーグトップの数字を叩き出しているものの、チーム打率が.226でリーグ最下位と足を引っ張っている。
気がつけば、打率リーグ最下位に沈む阪神と1厘差の.237。個人で見ても、規定打席到達でのチームトップが亀井善行の.281となっており、今年も3割打者はいない。
強打の印象が強いチームであるが、これほどまでに打線が苦しんだシーズンというのは未だかつてあっただろうか。巨人の年間の
巨人のチーム打率・ワースト10
1位 .227(1961年)2位 .229(1960年)
3位 .232(1962年)
4位 .235(1964年)
5位 .236(1975年)
6位 .238(1993年)
7位 .243(2011年)
8位 .2513(2006年)
9位 .2510(1997年)
10位 .252(1995年)
現在のチーム打率.237は、このランキングで言うと6位にあたる。まだ上がいるとはいえ、上位5つのうち4つは特に“投高打低”の時代と言われた1960年代前半に記録されたものである。
打率.236を記録した1975年は、47勝76敗7分で最下位に沈んだ年。打撃10傑に入ったのが打率.285の王貞治(当時35歳)ただ一人で、規定到達での3割打者は一人もいなかった。
また、6位の1993年といえば、現監督である原辰徳が4番を張っていた時代。この年も3割打者が0人で、チームトップが川相昌弘の.290だった。それでも、チームは槙原寛己、桑田真澄、斎藤雅樹らを擁した投手陣の頑張りもあって3位でシーズンを終えている。
ちなみに、当時35歳の原辰徳“選手”は、打率.229、11本塁打、44打点という成績。度重なる故障に悩まされて調子を崩し、プロ入り後初めて規定打席に到達することができず。ルーキーイヤーから続いていた連続20本塁打以上の記録が12年で途切れた。
奇しくも、今度は監督としてチームを率いる立場となって迎えた極度の打撃不振。“経験者”である原監督がここからどう持ち直し、リーグ4連覇へとつなげていくのか。指揮官のタクトに注目だ。