10月に行われたプロ野球ドラフト会議でソフトバンクから育成4位指名を受けた広瀬結煌選手。小学校時代は背も低くて打順は下位、中学でもレギュラーになりきれなかった。それでも高校で成長して夢を叶えることができた広瀬選手に、少年野球時代の話を聞きました。
——野球を始めたきっかけから教えてください。
幼稚園の先生が野球のコーチをしていて、「卒園したら野球やろうよ」と誘われたのがきっかけです。小学1年のときに近所の『光が丘シャークス』というチームに入りました。
——どんなチームでしたか?
しっかりと技術の指導をしてくれるチームでした。柏市内では優勝するくらいの強さでしたけど、ミスや失敗をしても怒鳴られることもなくて楽しい感じで、自分にすごく合っているチームでした。あまり褒められたこともなかったですけど(笑)。
——チームの練習はどれくらいやっていましたか?
週末2回だけ、8時から17時くらいまでやっていました。練習はいつも楽しみにしていました。友達に遊びに誘われても野球の練習の方に行きたいという感じでしたね。逆に平日は遊んでばかりで平日練習は全然やっていなかったです。
——当時の自分を客観的に見て、野球の上手さはやっぱり上の方でしたか?
全然そんなことはなかったです。打順も下位でしたし、むしろ野球の上手さは下の方だったと思います。早生まれ(2月22日)で成長も遅くて、身長は卒業する頃も150cmもなくて、ホームランなんか打ったこともなかったですし。それでも口では「将来プロ野球選手になる」って言っていたそうなんですが(笑)。
——ポジションは今と同じショート?
ショートもやりましたけど、外野をやったりピッチャーもやったり、色んなポジションを守っていました。
——褒められて嬉しかったことなどは覚えていますか?
プレーではないんですけど、怪我をして長期間練習をできなかったことがあったんですけど、その間はボール磨きとか一生懸命やっていたんです。そういうところを監督さんが見てくれていて「偉いな」って言われたのが嬉しかったですね。
——野球のどういうところが楽しいと感じていましたか?
バットの芯でボールを捉えてボールが飛んでいく、あの感覚ですね。あとは守っていてアウトを取ったときのベンチからの声かけとか、そういうのが嬉しくて。そういう部分が楽しいと思っていました。
——中学のチームはどのように選びましたか?
中学の軟式(部活)に行こうと思っていたんですけど「高校で続けることを考えたらなるべく早く硬式に慣れていた方がいいんじゃないか?」と父に言われて。たまたま自分が通っていた整体の先生が『流山ボーイズ』に関係がある人で、そこで勧められて入りました。
——小学校の時は楽しいチームでしたけど、中学はどんなチームでしたか?
練習は週末2日と平日に1、2日くらいで、セカンドで試合には出たり出なかったりでしたけど、練習やトレーニングについていくのがやっとでした。走り込みとかフィジカル系のトレーニングが結構キツくて、楽しいという感じではなかったですね。高校で野球をやるためには避けて通れない道だったと思うんですけど、練習がしんどくて辞めたいと思ったこともありました。遊んでいる友達が羨ましく思えたりもして(笑)。
——それでも辞めなかったのは?
やっぱり親の存在ですね。硬式のクラブチームなので高い月謝も払ってもらっていましたし。何か違う形で恩返ししなきゃと思っていましたし。
【いつも楽しみだった週2回の練習】
——野球を始めたきっかけから教えてください。
幼稚園の先生が野球のコーチをしていて、「卒園したら野球やろうよ」と誘われたのがきっかけです。小学1年のときに近所の『光が丘シャークス』というチームに入りました。
——どんなチームでしたか?
しっかりと技術の指導をしてくれるチームでした。柏市内では優勝するくらいの強さでしたけど、ミスや失敗をしても怒鳴られることもなくて楽しい感じで、自分にすごく合っているチームでした。あまり褒められたこともなかったですけど(笑)。
——チームの練習はどれくらいやっていましたか?
週末2回だけ、8時から17時くらいまでやっていました。練習はいつも楽しみにしていました。友達に遊びに誘われても野球の練習の方に行きたいという感じでしたね。逆に平日は遊んでばかりで平日練習は全然やっていなかったです。
——当時の自分を客観的に見て、野球の上手さはやっぱり上の方でしたか?
全然そんなことはなかったです。打順も下位でしたし、むしろ野球の上手さは下の方だったと思います。早生まれ(2月22日)で成長も遅くて、身長は卒業する頃も150cmもなくて、ホームランなんか打ったこともなかったですし。それでも口では「将来プロ野球選手になる」って言っていたそうなんですが(笑)。
——ポジションは今と同じショート?
ショートもやりましたけど、外野をやったりピッチャーもやったり、色んなポジションを守っていました。
——褒められて嬉しかったことなどは覚えていますか?
プレーではないんですけど、怪我をして長期間練習をできなかったことがあったんですけど、その間はボール磨きとか一生懸命やっていたんです。そういうところを監督さんが見てくれていて「偉いな」って言われたのが嬉しかったですね。
——野球のどういうところが楽しいと感じていましたか?
バットの芯でボールを捉えてボールが飛んでいく、あの感覚ですね。あとは守っていてアウトを取ったときのベンチからの声かけとか、そういうのが嬉しくて。そういう部分が楽しいと思っていました。
【しんどくて辞めようとも思った中学時代】
——中学のチームはどのように選びましたか?
中学の軟式(部活)に行こうと思っていたんですけど「高校で続けることを考えたらなるべく早く硬式に慣れていた方がいいんじゃないか?」と父に言われて。たまたま自分が通っていた整体の先生が『流山ボーイズ』に関係がある人で、そこで勧められて入りました。
——小学校の時は楽しいチームでしたけど、中学はどんなチームでしたか?
練習は週末2日と平日に1、2日くらいで、セカンドで試合には出たり出なかったりでしたけど、練習やトレーニングについていくのがやっとでした。走り込みとかフィジカル系のトレーニングが結構キツくて、楽しいという感じではなかったですね。高校で野球をやるためには避けて通れない道だったと思うんですけど、練習がしんどくて辞めたいと思ったこともありました。遊んでいる友達が羨ましく思えたりもして(笑)。
——それでも辞めなかったのは?
やっぱり親の存在ですね。硬式のクラブチームなので高い月謝も払ってもらっていましたし。何か違う形で恩返ししなきゃと思っていましたし。