オリックスの中島宏之と日本ハムの田中賢介の共通点。2人ともメジャーリーグを夢見て、海を渡ったが、夢半ばで、日本に戻ってきた選手だ。
先に渡米したのは中島。2012年にオークランド・アスレチックスと契約。しかし中島は2013年初年度キャンプ中に足を負傷し、故障者リストに入る。その後、アスレチックス傘下の3Aサクラメントで試合出場を続けるものの、思うような結果が出ずに2014年オフに日本球団への復帰が決まった。復帰時には古巣西武の他に、阪神、オリックスが獲得に動いたが、中島はオリックスに入団した。
田中も中島から遅れること1年。同じくメジャーを目指し渡米する。2013年、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。2014年のファーストシーズンはジャイアンツ傘下の3Aフレズノで開幕を迎えるが、同年7月に念願のメジャー昇格を果たした。7月9日のメッツ戦に2番レフトで先発し、初安打を放つなど、メジャーでの活躍が期待された。
しかし、わずか15試合で再び3Aフレズノに落ちてしまう。翌年はダルビッシュがいるテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結ぶも、1度もメジャーに上がることなく短かった挑戦を終えた。
改めて野手のメジャー挑戦の難しさが露呈することになった。中島も田中も、日本球界ではクリーンアップも打てるほど、実力はトップクラス。しかし、より高いレベルのメジャーリーグでは通用しなかった。
イチロー、松井秀喜、青木宣親・・・。メジャーリーグで活躍した日本人野手は数えるほどしかいない。一方、ダルビッシュはじめ田中将や日本人投手は、今やメジャーリーグでは欠かせない市場となっている。
メジャースカウト陣も目を光らせる日ハム大谷翔平ら、これからも続々と日本人投手は海を渡り、そして間違いなく活躍するだろう。しかし、2003年、ヤンキース松井秀喜が放ったメジャー第1号の満塁本塁打のような興奮を再び味わいたい。投手だけでなく、野手も臆することなく米国に挑戦してほしい。その活躍が日本球界のレベルアップにつながるはずだ。
先に渡米したのは中島。2012年にオークランド・アスレチックスと契約。しかし中島は2013年初年度キャンプ中に足を負傷し、故障者リストに入る。その後、アスレチックス傘下の3Aサクラメントで試合出場を続けるものの、思うような結果が出ずに2014年オフに日本球団への復帰が決まった。復帰時には古巣西武の他に、阪神、オリックスが獲得に動いたが、中島はオリックスに入団した。
田中も中島から遅れること1年。同じくメジャーを目指し渡米する。2013年、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。2014年のファーストシーズンはジャイアンツ傘下の3Aフレズノで開幕を迎えるが、同年7月に念願のメジャー昇格を果たした。7月9日のメッツ戦に2番レフトで先発し、初安打を放つなど、メジャーでの活躍が期待された。
しかし、わずか15試合で再び3Aフレズノに落ちてしまう。翌年はダルビッシュがいるテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結ぶも、1度もメジャーに上がることなく短かった挑戦を終えた。
改めて野手のメジャー挑戦の難しさが露呈することになった。中島も田中も、日本球界ではクリーンアップも打てるほど、実力はトップクラス。しかし、より高いレベルのメジャーリーグでは通用しなかった。
イチロー、松井秀喜、青木宣親・・・。メジャーリーグで活躍した日本人野手は数えるほどしかいない。一方、ダルビッシュはじめ田中将や日本人投手は、今やメジャーリーグでは欠かせない市場となっている。
メジャースカウト陣も目を光らせる日ハム大谷翔平ら、これからも続々と日本人投手は海を渡り、そして間違いなく活躍するだろう。しかし、2003年、ヤンキース松井秀喜が放ったメジャー第1号の満塁本塁打のような興奮を再び味わいたい。投手だけでなく、野手も臆することなく米国に挑戦してほしい。その活躍が日本球界のレベルアップにつながるはずだ。