日米で残した輝かしい功績
ボストン・レッドソックスの上原浩治が今年も奮闘を見せている。
現在41歳。ボストンでは4年目。昨シーズンまでの3年間はクローザーを務め、合計72セーブを挙げた。
2013年には、日本人投手としてワールドシリーズで初めてのセーブを記録。この年、日本人投手初のワールドシリーズ胴上げ投手にもなった。
メジャーを代表するクローザーにまで登りつめ、そして今シーズンはセットアッパーに配置転換。守護神クレイグ・キンブレルへとつなぐ役割を十分に果たしている。
上原を語るうえで、巨人時代の話をしないわけにはいかないだろう。
1999年、巨人に入団すると、いきなり20勝をマーク。最多勝に最高勝率、最多奪三振、さらには最優秀防御率と投手部門のタイトルを総ナメにし、沢村賞に輝いた。もちろん、この年の新人王も獲得。鮮烈デビューを果たし、巨人のエースとしての地位を確立していった。
巨人には2008年まで在籍。2007年にチーム事情からクローザーに回ったが、主に先発として10年間で112勝を積み上げる。
そして念願だったメジャー挑戦。2009年にボルティモア・オリオールズでデビューを果たし、2011年の途中にはテキサス・レンジャーズに移籍。そして2013年から、現在所属するレッドソックスに加入した。
オリオールズやレンジャーズではそれほど実績を上げられなかった上原だが、レッドソックスでは上述のような大活躍。チームに欠かせない投手になった。
気になる“引退後”は...
まだまだ一線級で活躍を見せている中で引き際について言及するのは失礼な話であるが、今年で41歳を迎えた大ベテランだけに、キャリアの終わりが近づいているのは事実。日米で輝かしい功績を残した男だけに、“ユニフォームを脱いだ後”にも大きな注目が集まる。
中でもファンの最大の関心事といえば、「巨人に戻ってくるかどうか」だろう。
今シーズンから巨人の監督に就任した高橋由伸新監督と上原は同い年。それも誕生日まで一緒という間柄で、「仲良し」であることはよく知られている。
しかし、“巨人と上原”という関係で見ると、心配な部分もある。
例えばルーキーイヤーの1999年、ベンチから敬遠の指示を受けた上原がそれに激怒。どうしても納得がいかなかったルーキーは、マウンドを蹴り上げ、涙を拭いながらの“反抗”を見せた。
試合後には首脳陣から絞られたというが、こういった気持ちが前面に出てしまう性格が災いし、球団との間で摩擦が起きたという例はこの後もいくつか見られることになる。
象徴的なのが2008年のこと。開幕直後の4月4日にFA権を取得した上原は、あろうことか取得から間もない7日にはメジャー挑戦を口にしてしまった。
優勝を目指して戦いが始まったばかりという中、ローテーションの柱から「来年はいません」という宣言が出てしまったのだから、さあ大変。「全力で慰留する」というコメントを出した球団だったが、その裏で上層部が大激怒していたことは容易に想像できる。
さらに渡米後の2012年、甲子園球場で行われた巨人-阪神のOB戦。参加することができずにビデオメッセージという形での出演となった上原は、「ジャイアンツファンの方々には申し訳ありませんが、巨人に入る前は関西に住んでたので阪神ファンでした」と告白。会場の笑いを誘っていたが、これも巨人からしたら笑えない話だろう。
そういった数々のトラブルがあったため、松井秀喜氏のように“歓迎”されることは正直ないのかもしれない。それでも、巨人ファンであれば帰ってきてほしいと願う存在であることは間違いない。
エースとして積み上げてきたその功績はもちろんのこと、苦境から這い上がる“雑草魂”は若武者たちへと継承していくべき財産だ。日米で活躍し、先発から中継ぎ、抑えと様々な役回りを経験。多くのことを若手に伝えることができるだろう。
上原がもう一度巨人のユニフォームに袖を通す日は、果たしてやってくるのだろうか。