ロッテは、首位ソフトバンクと3ゲーム差の2位につける。チーム打率はリーグ5位の.255だが、181得点はリーグトップ。破壊力を誇る打線の中心には、不動の4番デスパイネがいる。
実は意外にもこれまで、日本球界でプレーしたキューバ出身の野球選手は多い。今シーズンから中日でプレーをし、4月の月間MVPに輝いたビシエドや、2014年のリーグ制覇に貢献した巨人のアンダーソン、13年にパ・リーグ本塁打王に輝いた元日本ハムのアブレイユなどだ。
キューバは言わずと知れた野球王国。有望な選手の宝庫で、MLBでのプレーの場を求め、亡命を決意し、海を渡る選手が後を絶たなかった。先に挙げたビシエド、アンダーソン、アブレイユは、亡命し、MLB(マイナー含む)プレー経験を経て、日本球界に入った選手達なのである。
しかし、2014年、キューバ政府がキューバ選手の国外でのプレーが解禁し、キューバ政府公認で日本球界入りした、セペダ(元巨人)、グリエル(元DeNA)、デスパイネは、キューバ国内リーグでのプレー経験のみ(近隣諸国でのウィンターリーグ等除く)、いわばキューバ「直輸入」の選手だ。
キューバの国内リーグを実際に観戦すると、150キロを越える速球を投げる投手は多く見受けられるが、日本やアメリカで見られるような、キレのある変化球を操る投手が極端に少ない。亡命し、アメリカの野球を経験した選手たちは、多くの投手との対戦経験から、多彩な球種に目が慣れていくが、彼ら直輸入組の選手達は、限られた国内の投手との対戦経験に偏り、様々な球種に目が触れづらい状態で、日本球界入りを果たしているのだ。
そういったことも関係しているのか、来日後苦しんだ選手もいた。キューバの海外プレー解禁の日本球界入り第一号として巨人入りしたセペダがその一人だ。キューバ代表の4番として長らく代表の主軸を任されるセペダは、キューバ時代は通算5054打席、531三振で、およそ10打席に1度と言う低い三振の割合であった。だが、日本では変化球攻めに苦しみ、160打席、44三振でおよそ4打席に1度という割合に跳ね上がっている。15年に巨人を自由契約となり、日本球界を去ることになった。
一方、ロッテの4番として活躍するデスパイネは、キューバ国内リーグでは10年で、1シーズン平均81試合の出場、362打席で41個の三振。およそ9打席に1個の三振と、セペダ同様低い数字であったが、ロッテ1年目の14年は、45試合出場182打席で36個、5打席に一個のペース。15年は103試合出場に出場して、403打席で89個、4.5打席に一個のペース。16年も39試合出場で172打席29個、5.9打席のペースで三振を喫しており、未だに変化球攻めへの対応に苦しんでいる色が見られるが、今シーズンは打率.281(15位)、8本塁打(3位)、26打点(5位タ)、塁打数78(2位)とリーグでも高水準の数字を残している。
ヤンチャな風貌とは裏腹に、日本人の礼儀正しさに感銘を受ける真面目な性格のナイスガイなデスパイネ。キューバとは文化もプレースタイルも全く異なる地球の裏側で、確実に環境にひたむきに適応を始めている。本領発揮を始めたが、デスパイネは、まだまだこんなものではない。
実は意外にもこれまで、日本球界でプレーしたキューバ出身の野球選手は多い。今シーズンから中日でプレーをし、4月の月間MVPに輝いたビシエドや、2014年のリーグ制覇に貢献した巨人のアンダーソン、13年にパ・リーグ本塁打王に輝いた元日本ハムのアブレイユなどだ。
キューバは言わずと知れた野球王国。有望な選手の宝庫で、MLBでのプレーの場を求め、亡命を決意し、海を渡る選手が後を絶たなかった。先に挙げたビシエド、アンダーソン、アブレイユは、亡命し、MLB(マイナー含む)プレー経験を経て、日本球界に入った選手達なのである。
しかし、2014年、キューバ政府がキューバ選手の国外でのプレーが解禁し、キューバ政府公認で日本球界入りした、セペダ(元巨人)、グリエル(元DeNA)、デスパイネは、キューバ国内リーグでのプレー経験のみ(近隣諸国でのウィンターリーグ等除く)、いわばキューバ「直輸入」の選手だ。
キューバの国内リーグを実際に観戦すると、150キロを越える速球を投げる投手は多く見受けられるが、日本やアメリカで見られるような、キレのある変化球を操る投手が極端に少ない。亡命し、アメリカの野球を経験した選手たちは、多くの投手との対戦経験から、多彩な球種に目が慣れていくが、彼ら直輸入組の選手達は、限られた国内の投手との対戦経験に偏り、様々な球種に目が触れづらい状態で、日本球界入りを果たしているのだ。
そういったことも関係しているのか、来日後苦しんだ選手もいた。キューバの海外プレー解禁の日本球界入り第一号として巨人入りしたセペダがその一人だ。キューバ代表の4番として長らく代表の主軸を任されるセペダは、キューバ時代は通算5054打席、531三振で、およそ10打席に1度と言う低い三振の割合であった。だが、日本では変化球攻めに苦しみ、160打席、44三振でおよそ4打席に1度という割合に跳ね上がっている。15年に巨人を自由契約となり、日本球界を去ることになった。
一方、ロッテの4番として活躍するデスパイネは、キューバ国内リーグでは10年で、1シーズン平均81試合の出場、362打席で41個の三振。およそ9打席に1個の三振と、セペダ同様低い数字であったが、ロッテ1年目の14年は、45試合出場182打席で36個、5打席に一個のペース。15年は103試合出場に出場して、403打席で89個、4.5打席に一個のペース。16年も39試合出場で172打席29個、5.9打席のペースで三振を喫しており、未だに変化球攻めへの対応に苦しんでいる色が見られるが、今シーズンは打率.281(15位)、8本塁打(3位)、26打点(5位タ)、塁打数78(2位)とリーグでも高水準の数字を残している。
ヤンチャな風貌とは裏腹に、日本人の礼儀正しさに感銘を受ける真面目な性格のナイスガイなデスパイネ。キューバとは文化もプレースタイルも全く異なる地球の裏側で、確実に環境にひたむきに適応を始めている。本領発揮を始めたが、デスパイネは、まだまだこんなものではない。