ニュース 2016.05.17. 18:35

清原和博被告の初公判に思う「はれもの」「よそもの」の先にある世界

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プロ野球選手時代の清原(C)KYODO NEWS
 覚醒剤取締法違反の罪に問われた元プロ野球選手・清原和博被告の初公判が開かれて、検察側から懲役2年6カ月の求刑が出された。この量刑は軽いのか?重いのか? 過去の有名人の同様例を調べてみると、歌手の酒井法子元被告は懲役1年6カ月、同じく歌手のASKA元被告は懲役3年の求刑だから常習性や悪質性の観点ではASKA元被告に近い。判決ではおそらく過去の例と同様に執行猶予が付くだろうが司法の目は厳しいものと言わざるをえない。

 法廷で清原被告が何度かハンカチを手に涙を流す様子が伝えられた。父に初めて書いた手紙では「ごめんなさい」を続け、親友の佐々木主浩氏が情状証人の場に立つといよいよ涙は止まらなかったという。

 悪の闇の世界に突っ走ったのも清原なら、「ごめんなさい」と言いながら人目もはばからず涙を流すのも清原和博という男。そこに嘘はない。あるとしたらセルフコントロールの利かない精神の幼さと子供のような純粋さを併せ持つ危なっかしい中年アスリートの姿である。

 PL学園1年時には全国に怪物の名をとどろかせた。才能に身を任せたプロ野球の世界。西武の時は「はれもの」の時代だった。元オーナーである堤義明の寵愛を一身に受け周囲からもチヤホヤされる。夜の世界で危ない橋を渡った時には、たった一人のお目付け役である根本陸夫管理本部長(当時)から「ただ酒は飲むな。付け入るスキを見せるな」と叱られることもあったが、その恩師も西武を離れていった。

念願のFAで移籍した巨人は「よそもの」の時代だ。「番長」と囃し立てられ若手や控え選手らを中心に「清原軍団」を形成しても、松井や高橋由伸、阿部といった生え抜きのスターたちとは一線を画さざるを得なかった。

晩年のオリックスは「やっかいもの」の時代か。ひざの故障もあって満足な成績を残せぬまま現役引退となった。

 「現役を辞めて目標をなくしたらどうしていいのかわからなくなった。コーチや監督をやりたかったが声がかからなかった」覚醒剤に染まる動機を清原被告はこう語っている。

 だが、現役引退以前から薬物使用を証言する声もある。ユニホーム復帰には球団から評価され、周囲に協力する人脈も必要になる。ひたすらバットで成績を追い求めてきただけで首脳陣として通用するはずもない。その学習を怠り、寂しさを覚醒剤に求める幼児性や短絡思考が改善されなければ再出発も難しい。

 一から出直して必ず人の役に立つ人間になる。清原被告は誓う。厳しいようだが更生の前提はいくつかある。入れ墨を入れたまま指導者にはなれない。心地よい取り巻きがいるようでは本当の苦難の道の克服にはならない。一年間無償のボランティアを実践するぐらいで初めて社会はその本気度を認めるのだ。糖尿病の治療が優先されていたため薬物治療は今後、本格化されていくという。この日流した涙に嘘はないと信じる。栄光、転落、そして清原和博の人生第三章は谷底からの挑戦として始まる。

文=スポーツライター・荒川和夫(あらかわ・かずお)
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