コラム 2016.02.17. 11:30

輝かしすぎる高校3年間…“甲子園のヒーロー”だった清原和博

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キャンプ地・宮崎も騒然…


 2016年2月2日。衝撃的ニュースに各キャンプ地が騒然となった。

 あの清原が覚醒剤不法所持で逮捕された。巨人ファンが多く住む宮崎市内も、この話題で持ちきり。「巨人時代からやっていたのを知っている」、「清原の子分たちは大丈夫なのか」、「巨人は、この先、どうなってしまうのか」など...街行く人々も清原一色だった。

 巨人のキャンプ地である宮崎市総合運動公園も同じだった。

 ざわめき、携帯電話を手に走り回る報道陣、何やらひそひそ話をする関係者…。一所懸命に練習に取り組む選手たちの姿がかわいそうにも思えたほど、普段と違った雰囲気だった。

 高橋由伸新監督、阿部慎之助らはコメントを出したが、清原と同じ時期にプレーをした村田真一コーチ、二岡智宏コーチらはコメントを公にしていない。特に村田コーチは現役時代も清原とは仲が良く、良く冗談を言い合ったりしていただけに、その心中は穏やかではないはずだ。

 通算2000本安打&500本塁打を達成したスーパースター。いくら昔の選手といっても、現在でも絶大な人気を誇っている。

 今の中学生、高校生世代でプロ野球選手をほとんど知らなくても、清原だけは知っているという子供は多い。それだけに逮捕されるのは見たくなかった。少なくとも、覚醒剤について変な意味で興味を持ってしまった子供たちも多いのではないか。それが心配でならない。


“甲子園の主役”がいなかったことになる?


 忘れられないのが昭和58年の夏。長嶋一茂がいた立教高は埼玉県大会の準決勝で所沢商高に敗れ、甲子園出場を逃した。

 その後、甲子園へと進んだ所沢商高は、1回戦でPL学園と対戦して敗北。この年のPL学園で1年生ながら主力を張っていたのが清原であり、桑田であった。そして彼らはその夏、全国制覇を成し遂げ、2人は“KKコンビ”として旋風を巻き起こす。

 彼らの高校3年間は、夏で優勝、準優勝、優勝。春は準優勝、ベスト4という輝かしすぎるものであった。

 「甲子園は清原のためにあるのか」という名実況が誕生したように、清原は甲子園の歴史の一部を作った。甲子園通算13本塁打は、いまだに破られていない大記録だ。

 しかし、今回の逮捕に伴い、甲子園内の高校野球展示コーナーから清原のボックスが外された。高校野球ファンにとってこれ以上ないショックな出来事だ。甲子園は清原抜きでは語れないのに、その主役が、歴史上からも抹消された。
 
 一度でも薬の味を覚えてしまうと、一生やめられないとも聞く。社会復帰した清原が、覚醒剤で再逮捕される光景は、どうしても見たくない。清原が野球界でもう一度信頼を取り戻すには立ち直るしかないのだが、それは容易ではないだろう。

 もし、もう薬に頼らなくても大丈夫な体を取り戻したとき、プロ野球界へ復帰できるのだろうか。それとも、もう無理なのか。仮に、復帰できたとして、世間は清原をどういう目でみるのだろうか…。あまりにも深く、重い代償。清原が一生かけて償うことを、切に願う。

 また、野球賭博問題にかつての所属選手が逮捕と、球団のイメージも損ないかねない事態に陥った巨人軍。「巨人軍は紳士たれ」。この言葉の意味をもう一度再認識してほしい。
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