95年と96年にはパ・リーグ連覇
オリックスは、交流戦5勝12敗と大きく負け越し、交流戦の最下位が確定。リーグ戦でも最下位に沈んでおり、交流戦を不振から抜け出すきっかけにすることはできなかった。
現地時間6月15日のパドレス戦で、日米通算4257安打を達成したイチローが日本でプレーした唯一の球団がオリックスだった。1995年1月に起こった阪神淡路大震災の年に、「がんばろうKOBE」を合い言葉にリーグ優勝を果たし、被災地を勇気づけた。
オリックスには、輝かしい時期があった。90年代は、95年、96年の連覇を始め、2位3回、3位5回と、10年間全てAクラス入りを果たしている。96年には、前年達成できなかった地元神戸での胴上げを達成し、観客動員数も179万4000人を記録した。おそらく、パ・リーグ連覇した2年間は、球団の長い歴史のなかでも最も輝いていた時期の一つであろう。
96年以降はBクラスが続く…
しかし、96年以降は、チームの若返りを幾度となく図り、若手の積極的な起用などを試みるも、優勝に結びつけることはできなかった。Aクラス入りこそし続けるものの優勝から遠ざかり、観客動員数も徐々に減少する中、2000年にとうとう12年ぶりのBクラスに転落。この年のシーズンオフに、イチローがポスティング制度でメジャーリーグへ移籍。
00年から09年までの10年間は、最下位が3年連続を含む5回、5位が1回、4位が3回、2位が1回と、90年代とは対極の低迷した10年となった。その流れは10年以降も止まらず、10年から15年の6年間も、Aクラス入りは、14年の2位のみ。
96年に、リーグ最下位であったダイエー(現ソフトバンク)は、この20年でAクラス常連のチームへと飛躍を遂げ、オリックスは対照的な道を辿る形となってしまったのだ。低迷するオリックスに、浮上の糸口はあるのであろうか。
6月19日現在、チーム打率.244、チーム防御率4.53は共にリーグ最下位。昨今の優勝チームを振り返ると、チーム打率よりも、チーム防御率の数字がチーム順位に結びつく傾向が強い。オリックスには、金子千尋という絶対的エースがいるが、故障により二軍で調整中。
それでも、12年ドラフト1位の松葉貴大、13年のドラフト1位吉田一将、14年ドラフト1位の山崎福也など、期待の若手投手が近年の慢性的な投手不足により、巡ってきた入団早々のチャンスを生かし、投手陣の一角を担いつつある。投手陣の充実を図り、まずは最下位脱出を図りたいところである。
イチローが、素晴らしい記録で世界を沸かせている。そのイチローがかつて所属していたオリックス。もう一度「95年、96年」のようにファンを沸かせることができるであろうか。オリックスの反撃に期待したい。