4番に代打の衝撃
27日、札幌ドームで行われた日本ハム-西武の一戦。2点を追う日本ハムは、7回裏二死一、二塁のチャンスで4番・中田翔を迎える。
長打が出れば同点、一発なら逆転…。試合の行方を大きく左右する大事な場面で主砲に打順が巡ってきたが、球場の誰もが予想していなかったことが起こる。
「代打・矢野」――。場内に大きなどよめきが起こった。
たしかに、中田はここまで西武先発・岸孝之の前に3打数無安打。ここ10試合で4安打と不信を極めていたが、まさか中田に代打が送られようとは誰も思うまい。
「代えられた中田の気持ちは?」「それを見ていた若手選手たちへの影響は?」「もしかしたらこの打席の逆転弾で一気にスランプから脱却できたのでは...」指揮官の頭のなかには、きっといろいろなものがよぎったに違いない。そのうえで、ベンチを飛び出した。
“非情”ってなんだ?
結果から先に言うと、栗山英樹監督の“非情”とも“苦渋”とも取れる決断は功を奏する。
代打で登場した矢野謙次は岸から四球を選んで出塁。するとつづく田中賢介の適時打で追いつき、レアードのタイムリーで逆転。交代の遅れた相手エースを攻略し、8-7で勝利を収めた。
「4番に代打」という“賭け”に挑み、見事にチームを勝利に導いた栗山監督。“非情”と言われるような決断であっても、チームを勝利へと導くことが監督として最大の使命であり、栗山監督はそれを全うした。任務は果たしたと言える。
そもそも“非情”とは、「人間らしい感情をもたないこと。感情に左右されないこと」を指す。文字からネガティブな印象が強いが、勝負に徹する指揮官としてはむしろ誇るべき能力であり資質なのではないだろうか。
今でも鮮明に思い出される「伝説の“非情采配”」
球界で「非情采配」という言葉が一躍注目を浴びた、あるエピソードがある。きっと言われたら誰もが思い出すであろう、2007年の日本シリーズのことだ。
中日-日本ハムの日本シリーズ第5戦。日本一に王手をかけた中日は、山井大介を先発マウンドに送った。
序盤から快調なペースで投げ進めた男は、気がつけば8回まで1人の走者を出さない完ぺき投球。山井本人としても初めてであり、長い日本シリーズの歴史の中でも初めての完全試合へ。ファンや世間の注目はその一点に注がれた。
しかし、1-0で迎えた9回表の開始前。当時中日を率いていた落合博満監督がグラウンドへと出てくる。「ま、まさか…?」誰もがそう思った瞬間、ピッチャーの交代がアナウンスされた。
これにはナゴヤドームが騒然。日本一を目前に控えた中日ファンでさえも「山井」コールで交代に抗議。日本シリーズ初の完全試合で日本一…。そんな夢のようなシナリオは泡と消えた。
それでも、異様なムードに包まれた中でも、絶対的守護神・岩瀬仁紀はふだんと全く変わらない安定感を披露。三者凡退で斬って取り、“完全リレー”で球団53年ぶりの日本一を成し遂げた。
この“事件”が日ハム浮上のきっかけになる...?
中日の半世紀ぶりとなる歓喜が報じられる中、落合監督の決断は「非情采配」として大きな物議をかもした。
特に投手出身の解説者、OBの反響は大きく、球界のみならずワイドショーや政界でも話題に挙がるほどの事態となっていた。
当時のことに関しては“諸説”存在し、真相は当事者のみぞ知るといった格好…。しかし、落合監督の“非情”な決断の結果、チームは53年ぶりに日本一に輝いた。監督としてこれ以上ない仕事を果たしたと言える。
誤解を恐れずに言えば「人間らしい感情をもたず」、その時の「感情に左右されない」で自らの考えを貫き、チームを勝利へと導く…。今回の栗山監督も、あの時の落合監督も、そうやってチームを勝利に導いたのだ。
今回のケースで言えば短期決戦の一発勝負ではないため、今後のシーズンに与える影響だけが気がかりとなるが、12球団でも屈指の“距離の近さ”で選手と接する栗山監督であれば、きっと問題ないだろう。むしろこの悔しさをバネに中田が奮起する、そんなプラスの作用をもたらす可能性だってある。
主砲は指揮官の思いに応えることができるか…。最後に振り返った時、「6月28日の“あの事件”があったから...」と笑って言えるようなシーズンとしなければならない。