元祖・怪物といえば...
みなさんは“怪物”と聞いて誰を思い出すだろうか。
最近であれば、二刀流の“怪物”・大谷翔平(現日本ハム)。何と言っても160キロという球速がファンの度肝を抜いた。そのうえで、バットを握れば高校通算56発。対戦相手が外野4人シフトを敷いたという伝説も残すなど、大きな衝撃を与えた。
その前で言えば、“平成の怪物”・松坂大輔(現ソフトバンク)がそう。神奈川・横浜高のエースとして君臨した右腕は、1998年の夏を独り占めにした。
PL学園との死闘に加え、決勝はノーヒットノーランでの春夏連覇。この夏の甲子園はこの男のためにあったと言っても過言ではなかっただろう。
では、その2人の前。“怪物”の元祖とも言われる投手は誰だったか……。野球ファン歴の長い方ならばすぐにピンとくるだろう。江川卓だ。
江川が残した伝説
栃木・作新学院高にいたその男、とにかくボールが速かった。まだ球速を正式には計れない時代だったが、「160キロは出ていた」と当時の関係者は口をそろえる。
3年時の春・センバツで甲子園初出場。ベスト4で敗退したが、1大会でマークした60奪三振というのは今でもセンバツ記録として残っている。
夏も甲子園に出場すると、1回戦の柳川商(福岡)戦では延長15回を一人で投げきり、2-1のサヨナラ勝ち。延長15回ということで参考記録ながら、1試合23奪三振という史上2位の記録も樹立した。
甲子園出場はこの2度ながら、「江川を見るために甲子園に来ました」というファンが急増。聖地は“江川フィーバー”に沸いた。
今年も本命の作新だが...
さて、そんな江川の母校・作新学院は、今夏も栃木県大会の大本命に推されている。
ここ5年連続で夏の県大会を制しており、6年連続の甲子園出場がかかっている。そんな作新学院のエースに君臨するのが、今井達也だ。
最速151キロ右腕は、180センチで70キロと少し体の線が細いものの、しなやかなフォームが特徴的。投げ方は巨人のマシソン似とも言われている。
昨夏の県大会でも、2年生ながら準々決勝と準決勝で先発を任せられるなど、大きな期待されていた。ところが、準決勝の白鴎大足利戦では、1回を投げて3失点で降板。チームは甲子園に出場したが、今井はベンチから外された。屈辱だった。
それでも、この経験をバネにして男は成長を遂げる。冬場に筋肉トレーニングを敢行し、球速が一気に伸びた。ある在京スカウトは、「球速以上にキレがある。ストレートはプロでも通用する」と高評価。この夏の甲子園で快投を披露すれば、ドラフト上位指名も十分にある。
ただし、その作新学院も、春の県大会ではベスト8で敗れた。制したのは文星芸大付。エース左腕の佐藤良亮を中心に、固い守りで接戦をモノにする。18日の3回戦、作新学院は宇都宮清陵を7回コールドで下したが、文星芸大付も宇都宮北をコールドで撃破。次戦、ベスト16でこの両校が早くも激突する。これは見逃せない対決となる。
54年ぶりの甲子園優勝を...
栃木県勢による夏の甲子園優勝は、1962年の作新学院まで遡る。この年は春のセンバツも制しており、史上初の春夏連覇を達成した。
主戦投手は、その後にロッテに入団し、史上13人目の完全試合を達成する八木沢荘六と、中日に入団するも、20歳で事故死してしまう加藤斌の2人。春は八木沢が決勝まで投げ抜いたが、夏は八木沢が赤痢にかかったためベンチ入りできず、控えの加藤が1人で投げ抜いた。
あれから、54年……。栃木県勢の甲子園優勝はない。あの江川でも成し遂げられなかった甲子園制覇へ。栃木県の代表争いに注目だ。